朝陽丸
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朝陽丸(ちょうようまる)は、幕末期に江戸幕府が所有していた軍艦の一つ。木造蒸気船。マスト3本を持つスクーナー。排水量300t。旧名エド艦。安政5年(1858年)5月に、オランダから長崎海軍伝習所へ贈呈された。朝陽艦。
慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発して江戸幕府が瓦解すると、朝陽丸は明治政府の手に渡り、旧幕府軍を追撃して蝦夷地へ向けて北上した。箱館戦争終盤の明治2年(1869年)5月11日、旧幕府軍艦蟠竜丸の砲撃が朝陽丸の火薬庫に命中し、大爆発を起こして轟沈。艦長中牟田倉之助は重傷を負いながらも一命を取り留めたが、副艦長夏秋又之助はじめ朝陽丸乗組員73名がほぼ即死した。
この戦いを己巳役(きしのえき)と称して、箱館戦争終結後の間もなく朝陽丸乗組員戦死者を弔う慰霊碑が函館山に建立された。己巳役海軍戦死碑。
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