東条藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東条藩(とうじょうはん)は、安房国(現在の千葉県鴨川市東町)に存在した藩。
目次 |
[編集] 藩史
元和6年(1620年)9月、下総国生実に5000石を領していた西郷正員(1593年-1638年)が、さらに5000石を加増されて1万石の大名として諸侯に列し、安房長狭郡東条村に陣屋を置いたことから立藩された。
ちなみに西郷氏の先祖は西郷正員(同姓同名でややこしいが、先述の正員とは全くの別人。前者は当人の6世孫である。区別の為、こちらを弾正左衛門正員とし、前者を若狭守正員とする。)まで、さかのぼる事が出来る。この弾正左衛門正員の次代・西郷正勝で、更にその孫に当たる西郷清員が、徳川家康から全幅の信頼によって家運を高めるきっかけを得た。さらに、清員の姪が、西郷局(愛子)は徳川家康の側室となって徳川秀忠と松平忠吉を生んだことから、取り立てられたのである。
若狭守正員は寛永15年(1638年)11月14日に死去。後を子の西郷延員が継いだ。延員は名君で、領民にも慕われていたと言われているが、後継には恵まれなかった。元禄3年(1690年)12月25日、ようやく家督を養嗣子の西郷寿員に譲って隠居したが、間も無く幕府から不行状を理由に蟄居処分となった。寿員は徳川綱吉の側近として仕え、元禄5年(1692年)2月7日、下野上田藩へ移封され、東条藩は廃藩となった。
[編集] 歴代藩主
[編集] 西郷(さいごう)家
譜代。1万石。