東方会
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東方会(とうほうかい)とは、1933年(昭和8年)、中野正剛によって結成された日本の思想団体及び政治団体。
立憲民政党を離党し国民同盟を結成していた中野正剛は、1935年(昭和10年)、国家社会主義化していった国民同盟を離脱。翌1936年(昭和11年)5月、思想団体だった東方会を政治団体とした。
1939年(昭和14年)、社会大衆党との合同失敗。社会大衆党は翌1940年(昭和15年)に解党した。
1940年(昭和15年)10月12日、国民の統制や強大な政治体制を目的とし、当時の既成政党は解体され合流を余儀なくされた国の機関、大政翼賛会に東方会も例外なく合流したが思想団体としても継続した。その後、東條英機による翼賛政治会に半ば強制的に入会させられる。
1942年(昭和17年)、翼賛政治会離脱後、反東條色を強め、1943年(昭和18年)、東條内閣倒閣工作容疑で中野正剛らが検挙・投獄される。出獄後、中野正剛の突然の自殺により活動停止した。なお、中野自殺の原因は今も深い謎に包まれている。