東名高速飲酒運転事故
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東名高速飲酒運転事故(とうめいこうそくいんしゅうんてんじこ)とは、1999年11月28日に発生した、飲酒運転のトラックが普通乗用車に衝突して幼い姉妹が亡くなった事故である。
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[編集] 経緯
1999年11月28日午後3時半ごろ、東京都世田谷区の東名高速道路東京IC付近で、千葉市の会社員の所有する普通乗用車(夫人運転、夫と3歳・1歳の2女児の3名が同乗)が首都高速用賀TB付近上り本線を走行中、料金所通過の為減速していたところ、高知から東京に向かっていた飲酒運転の11トントラックに追突された。乗用車は大破炎上し、同乗していた3歳と1歳の女児2人が焼死、会社員も全身に大火傷を負い、皮膚移植を余儀なくされた。
トラックの運転手は高知から大阪へのフェリー内や東名高速のサービスエリアなどで合わせてウイスキー1瓶(750ml入り)と酎ハイを飲んだ。事故当時はひどく酩酊しており、真っすぐ立つことができないほどであった。呼気中のアルコール濃度は1lあたり0.63mgだったという。
[編集] 裁判と判決
- トラックの運転手は業務上過失致死傷罪などの罪に問われた。検察は刑法第211条に定める同罪の最高刑に当たる懲役5年を求刑したが、2000年6月8日、東京地方裁判所は運転手に対し懲役4年の実刑判決を言い渡した。検察はこの判決を不服として、飲酒運転事故としては異例の控訴に踏み切った。2001年1月12日、東京高裁が控訴を棄却し、運転手に懲役4年を命じた東京地裁判決が確定した。
- 両親が、当時のトラック運転手およびその勤務先だった高知通運(本社:高知市)などを相手取って約3億5600万円の損害賠償を、一部を女児たちの毎命日に分割して支払うよう求め東京地方裁判所に提訴した。この裁判で、判決で東京地裁は被告らに対して、原告へ総額約2億5000万円を支払うことを命じた。なお、このような分割払いを求める請求は異例のことであって、裁判においても争われたが、東京地方裁判所は原告側のこのような請求は適法であるとし全面的に認めた。
- 判決の要約:加害運転手および高知通運(被告)は、原告に対し賠償金2億4979万5756円を連帯して支払え。死亡による逸失利益については、2女児が18歳から67歳まで49年間就労したものとして算定し、その部分の金員は、亡くなった女児らがそれぞれ19歳の誕生日を迎える年の翌年の命日に初めて支払い、以降15年間毎命日ごとに分割して支払え。女児らが34歳の誕生日を迎える年の命日には、34歳から67歳までの金額をそれぞれ一括して支払え(年5パーセントの金利を含む)。
- 賠償金として算定した金額のうち、3400万円ずつが女児らへの賠償金として算定されている。これは交通事故における独身者の死亡賠償額としては過去最高額である。裁判所が運転手の重大な責任を指摘した結果である。
- 民事訴訟の判決全文は最高裁判所の判例検索システムで入手可能(平成15.7.24.東京地方裁判所平成14年(ワ)第22987号 損害賠償請求事件)。
両裁判とも、運転手の行為を「走る凶器による危険極まりない運転。未必の故意による傷害行為といえる」と厳しく非難。「身動きもできないままわが身を焼かれ死んだ幼児の無念さ、目の前で娘が焼け死ぬのを見るほかなかった両親の痛恨の思いは想像を絶する」と判断理由を述べた。
[編集] 社会的影響
2000年6月、神奈川県座間市で飲酒及び無免許、更に無車検の暴走車によって大学に入学したばかりの一人息子を奪われた造形作家が悪質ドライバーに対する量刑が余りにも軽すぎること、今の日本の法律に命の重みが反映されていないことに憤りを覚え、法改正を求める署名運動を始めた。被害者たちもこの運動の趣旨に心から賛同し、全国各地で街頭署名を重ね、2001年10月に法務大臣へ最後の署名簿を提出した時には合計で37万4,339名の署名が集まった。
世論に後押しされ、2001年6月には道路交通法改正法案が、11月には刑法改正法案がの全会一致で国会を通過し、最高刑を懲役15年とする危険運転致死傷罪が刑法に新設された。