東京六大学
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東京六大学(とうきょうろくだいがく)とは東京六大学野球連盟に加盟所属する6校の大学を指し示す大学群である。
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[編集] 概略
大学野球の先駆者的な立場であった早稲田大学と慶應義塾大学の対抗戦(早慶戦)に端を発し、後に順次対戦校を増やしていった結果、6校目の参加大学として1925年秋、東京帝国大学(現在の東京大学)の加盟が決定し、初めて組織化が行われ東京六大学野球連盟が発足した。(野球連盟の詳細については東京六大学野球連盟の項を参照)
これをもって初めて世の中に「東京六大学」という存在が誕生した。
しかしながら、この対抗戦としての東京六大学野球の存在が、時流とともに野球競技を大衆娯楽・文化としての人気を全国一般に浸透させ、また第二次世界大戦後にプロ野球人気が高まるまで日本国内においての野球競技での指導的立場も兼務したことから、東京六大学の認知度は加速度的に全国に広まってゆくこととなった。プロ野球の人気が高まるまでは『野球といえば六大学、六大学といえば野球』という時期があったことも当時発行された新聞などからうかがい知ることができる。この様に東京六大学野球の存在は、それまでは単なる一般的な総称名詞としての『六大学』に絶対評価的なものとしてではなく、あくまで受けて側の印象として特別な付加価値としてのイメージを植えつけ、かつ浸透させていくこととなった。
その結果、しだいに「東京六大学」は大学野球リーグの壁を越えた所属大学相互間のとりわけ学生レベルでの交流には不可欠なキーワードとして一人歩きしはじめることとなり、野球とは無関係な芸術・学術的な分野においても東京六大学の名の下に所属校の現役学生のさまざまな活動や、卒業後に至るまでに及ぶ様々な人的繋がりや交流が図られるような情況が生まれ、一般的に見られる他の大学群にはみられない独特の連帯感を生み出すまでになり現在に至っている。
以上の様に、その名の由来が大学野球の組織に端を発していることから、大学間の交流は学術的な面よりもむしろ学生レベルでの交流主導で発展した傾向が強い。
学術的な面を前提としたものやその他の一般的な大学群を区別する称号としては他にも存在するが、東京六大学の場合は野球人気の影響もあって、日本国内においてはその大学に在学したことのない人もよく知っている大学群名称となっている。
国外においては、アメリカ合衆国の大学スポーツリーグであるアイビーリーグがほぼこれに相当する類似例として挙げられ、和製アイビーリーグという表現で紹介される場合もある。
因みに、多くの場合は「東京六大学」といえば、東京六大学野球連盟の加盟校と同じ構成校を表すが、稀にそれと同一ではない場合においても東京六大学を使用している例もある。
[編集] 誤解されやすい点
前述の誕生経緯からも分かるように、「東京六大学」と呼ばれる大学群が結集して野球を行なっているのが「東京六大学野球」なのではなく、「東京六大学野球連盟」に加盟している大学群が「東京六大学」となる。
[編集] 構成大学
五十音順で以下の通りである。