東久世家
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東久世家(ひがしくぜけ)は、羽林家の家格を有する公家。村上源氏久我流。家紋は笹竜胆。30石3人扶持。江戸時代初期に創設された新家。明治維新後、伯爵。
権大納言久我通堅の三男・参議久我通廉によって江戸時代当初に創設されたとされるが、その他、東久世家の起源には諸説あり、通廉を通堅の子東久世祖秀の子とする説や、または、祖秀は久我晴通の孫で、祖秀の孫が通廉とする説などがある。祖秀は武士になり、加藤清正に仕えていたが、後に帰洛したらしい。
幕末の通禧は、尊王攘夷派の少壮公家の一人で、文久3年(1863年)八月十八日の政変後に「七卿落ち」を余儀なくされた。
明治維新後、通禧は外国事務総督、神奈川府知事、開拓使長官、侍従長、元老院副議長、貴族院副議長、枢密院副議長を歴任し、明治17年(1884年)伯爵に叙される。また、通禧の四男・秀雄も男爵に叙される。
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