杉津駅
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杉津駅(すいづえき)は、かつて北陸トンネルが開業する前、北陸本線に存在した駅である。
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[編集] 概要
北陸トンネルが開業する前、この区間の北陸本線は海沿いを沿うように走っていたが、山中峠を超える必要から勾配区間となり、更にトンネルも多かったため、蒸気機関車が主流の時代は運転する側に取ってみれば難所であった。鉄道事故こそ無事故を記録したが土砂崩れ、雪崩で不通になることがしばしばあった。
乗客にとっても、この辺りを走る時は煤だらけになるのが当然といった感じの場所であったが、その反面、山の緑を縫ってトンネルと鉄橋の連続する起伏の富んだ眺望に優れた路線でもあり、鉄道唱歌第4集北陸編の第65番でも「海のながめのたぐいなき 杉津をいでてトンネルに 入ればあやしやいつのまに 日はくれはてて暗(やみ)なるぞ」と歌われたほどの景勝地ともなった。大正天皇を乗せたお召し列車が、その絶景に見惚れて、暫く汽車の発車を遅らせたという逸話も残っている。
駅自体は列車交換のために設けられた信号場的役割が強く、トンネルに挟まれた立地に変則対面式ホーム3面4線(中央通過線を含む3線と海側1線)とホーム毎に駅舎があった。海側1線は待避線扱いで除雪車が専ら常駐していたようである。
- 北陸トンネル開通に際しては、新線から遠く離れてしまったため代替駅は設けられず、代替バス路線も海岸周りであった。
- 北陸本線においては福井県唯一の海岸駅として開通当初より設置された駅であり、海産物物資輸送、杉津海岸への海水浴客などの利用があった。
- 杉津駅は海抜200メートルに位置し、ふもとの海岸村からは一直線の石段であった。
- 並走道路もないため不通時になると山あり谷ありのこの難所を線路伝いに徒歩移動しなければならなかった。
[編集] 歴史
- 1896年7月15日 北陸本線敦賀-福井間開業に伴い開設
- 1962年6月9日 北陸トンネル開通に伴う線路付け替えで廃止
- 早朝、最終列車を見送った後、職員一同線路に下り立ち、レールに御神酒をかけ、別れの杯を交わす光景がアサヒ報道フィルムとして残存している。
[編集] 隣の駅
敦賀-今庄間の旧線は、深山信号場と杉津駅を除いていずれもスイッチバック型の構内設備を有していた。新保・杉津・大桐・今庄各駅の標高はさほど変わらないのだが、途中の起伏がいかにきついかを物語っている。
[編集] 跡地
跡地は1977年に北陸自動車道が開通した際、杉津パーキングエリア上り米原方面に転用された。
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