末那識
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基本教義 |
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縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
経典 |
聖地 |
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末那識(まなしき、(skt.) manas)とは、唯識説の説く八識のうち第七識であり、第八識を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である。
末那識を「意」と訳す。「意」は思量の意味であり、この識は常に第八識の見分を縁じて、我である、法である、と思量するから末那と言われる。我法二執の根本である。思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる。
第六識も「意識」というので、その違いは、意識は意によって生じる識であるから意識という。依主釈。末那識は持業釈である。