木村文治
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木村 文治 (きむら ぶんじ、 1944年7月27日 - )は京都府出身のサッカー選手、指導者。
[編集] 経歴
現役時代はヤンマーディーゼルサッカー部(現-セレッソ大阪)でプレー、72試合2得点の成績を残した。
現役引退後、1982年に京都紫光クラブの監督に就任、1990年まで務めた。1991年からは加茂周監督の下で横浜フリューゲルスのヘッドコーチを務めた。1995年に加茂氏が日本代表の監督に就任すると監督に昇格したが14試合で4勝しか出来ず辞任した。その後はフリューゲルスのフロント入りしたが1998年シーズンを最後にチームが消滅すると京都パープルサンガのチーム統括部長に就任、2000年には総監督も兼務した。 辞任等で監督不在の際は監督も兼任した。2004年6月、西村昭宏監督が解任されると木村自身も総監督を辞任、京都を退団した。
その後、京都の育成普及部長だった栗本直氏と共にWSC名張フットボールクラブへ移り、2006年には名張FCを法人化させた特定非営利活動法人芝生のグラウンドを愛する会を設立。理事長に就任し、Jリーグ参加を目指すM.I.E.ランポーレFCの経営に参画している。
- 京都パープルサンガ監督(代行)
- 2003途中
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- 先代:
- ピム・ファーベーク
- 次代:
- 西村昭宏