朝鮮文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
![]() |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
朝鮮文学 (ちょうせんぶんがく)は朝鮮民族によって書かれた文学である。現在の朝鮮半島は人工的に南北に分断されており、北の朝鮮民主主義人民共和国では「朝鮮文学」と呼ぶが、南の大韓民国では「韓国文学」と呼ばれる。日本ではこの両者を含めて「朝鮮文学」と呼ぶが、韓国式に「韓国文学」という表現も存在する。
歴史的に見れば、民族文字であるハングルが創製されたのは15世紀半ばであり、その以前は基本的に朝鮮文学も漢文で書かれていた。日本語と同じく漢字によって民族の言葉を表記した吏読や郷歌などの伝統も存在したが、日本語の万葉仮名に比して煩雑、複雑なものであり普及の程度は低かった。ハングル創製後も漢文で書くのが正式とする意識が強く、ハングルは李朝末期まで公用の文書としては使われなかったが、民間ではハングルの発明を受けて多くの小説が書かれ、朝鮮民族独自の文学が本格的に始まった。この流れを汲んで李朝朝鮮末期、日本植民地統治時代に多くの文学作品が発表された。韓国ではこの時期の文学あるいは古代の郷歌なども含めて「韓国文学」と呼んでいる。韓国で朝鮮文学といえば特に李氏朝鮮時代の文学を指す。
目次 |
[編集] 現代韓国の文学
1970年代は若い新人たちの輝かしい活動が断然脚光を浴びるようになった。小説分野では崔仁浩・黄皙暎・趙海一・趙善作など多くの若い作家たちが続々と登場した.いわゆる70年代作家と呼ばれる人々は多数の読者を得る新聞小説も席捲した。このようにして出た崔仁浩の「星たちの故郷」、趙海一の「冬の女」などは空前のベストセラーになって一種の小説黄金時代を謳歌した。
しかしこのような作品傾向に対してその商業主義文学としての病幤を指摘する批判の声が高まり、一方では産業社会の到来とともにその病理的な面を作品を通じて表現した趙世煕の短編集が珍しく多くの読者を得るベストセラーになった。また黄皙暎は工事現場の労使関係を扱った「客地」や南北分断の悲劇を作品化した「韓氏年代記」などを発表した。
1970年代の詩界では維新体制と暗い政治状況の下で詩人金芝河が発表した「五賊」が筆禍事件となって国際的な波紋を投げかけた。この外にも詩人としては鄭鎭圭・鄭玄宗・朴利道・李昇薫などを挙げることができる。これらの作品は現代詩の新しい変貌を示す先駆的な役割を果たした。1980年代に入って小説のなかで大きな流れを形成するようになったのはそれまでほとんど見られなかった大河小説の登場だ。これが読者にも大きい反響を得るようになったが、その代表的な作品として黄皙暎の歴史小説「張吉山」と趙廷来の「太白山脈」などを挙げることができる。とくに「太白山脈」は韓国出版史上最大のベストセラーとなった。
この他、李文烈の長編「英雄時代」も文壇の注目を引き、その後彼は1990年代にかけて旺盛な作品活動をしている。詩の分野では李晟馥・黄芝雨・崔勝子・金光圭などが注目を集める作品活動をした。1990年代に入って多くの商業主義的な小説が現われて読者を惑わす傾向もあったが、朴景利の大河小説「土地」が25年ぶりに完成されたことは意味深い。
さらに作家・洪盛原も1960年代に登壇した後1990年代に至るまで「モンドング」「月と刀」などの大作を発表している。またシン・キョンスクやコン・ジヤンなどの若い女流作家たちの活動も著しい。70年代以後著しい作品活動をして来た高銀が「万人譜」「白頭山」などの長詩を完成し、1930年代に詩壇に出た徐廷柱が初詩集「花蛇集」以後引き続き作品を書いている。女流詩人たちも洪允淑・金南祚・金芝郷・千良姫などが1950年代以降、詩作品のたゆまぬ発表を続けている。
なお、純文学とは言いがたいかもしれないが、1990年代のベストセラーとしては李恩成(1937年~1988年)の「小説・東医宝鑑」(1990年)が300万部発売で「太白山脈」を上回る史上最高記録を更新し、金辰明(1957年~)の「ムクゲノ花ガ咲キマシタ」(1993年)も200万部以上を売った。これらはいずれも日本語訳が出ているが、金辰明の「皇太子妃拉致事件」(2001年)は日本では発売されなかった。
[編集] 韓国の文学賞
- 東仁文学賞 近代文学者・金東仁の功績を記念して1956年に創設された。
- 李箱文学賞 近代文学者・李箱の業籍を記念して1977年に創設された。
[編集] 文学者
- 李陸史(リ・ユクサ)(Yi Yuksa)
- 金声翰(キム・ソンハン)(Kim Songhan)
- 金素雲(キム・ソウン)(Kim So-un)
- 金延漢(キム・ジョハン)(Kim Jyonghan)