朝倉景職
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朝倉 景職(あさくら かげもと、文明16年(1484年) - 天文4年4月13日(1535年5月14日))は戦国時代の武将である。父は朝倉経景。幼名虎松。与三右衛門尉と称す。妻は朝倉貞景の長女北殿。間に朝倉景隆を設ける。法名然翁禅昭禅定門。
北殿を妻に迎えたことで、朝倉同名衆の中でも高い地位を得ることができた。父の没後、その居城安居城を継承する。
永正3年(1506年)に発生した永正の一向一揆では3,800の兵を率い、九頭竜川合戦でも活躍した。 永正14年(1517年)の若狭逸見氏の叛乱の際、朝倉宗滴とともに出陣し、大飯郡高浜城の番代を務めた。また、大永5年(1525年)の美濃内乱時に土岐頼武救援のため総大将として出陣し、10月14日に稲葉山へ兵を進め、内乱鎮圧に尽力している。