暗黒時代
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暗黒時代(あんこくじだい)とは、歴史上のある一定期間、戦乱、疫病、政情不安定などの原因により、社会が乱れ文化の発展が著しく停滞したような時代を指す。具体的には、古代ギリシャ文明または中世ヨーロッパでのある時代を指して呼ぶことが多い。また、文明全体に及ぶ大きな事象でなくても、特定の芸術・技術・文化などが弾圧を受けたり、革新者の不在などの理由で停滞した時期を指して、暗黒時代と呼ぶこともある。
[編集] 古代ギリシャ
古代ギリシアの暗黒時代は紀元前1200年ごろのトロイア戦争終結から数世紀間の、古代ギリシア文化の停滞期をいう。伝承によれば、トロイア戦争時、王侯らがみな戦争に出かけたまま10年間帰らなかったため、国土は荒廃し、弱小な権力者が林立する事態となって、戦争勝利後も王侯らの暗殺などが相次ぎ、当時の文明そのものが崩壊したという。歴史的には、口承によるギリシア神話の時代が終わり、文字による歴史の記述が始まる直前の時代にあたる。
[編集] 中世ヨーロッパ
ヨーロッパにおいて西ローマ帝国滅亡後、ルネサンスの前までの中世を指して暗黒時代とも言われる。ルネサンス初期の人文主義者・ペトラルカが古典古代の失われた時代を "tenebrae"(ラテン語で闇)と呼んだのが「中世=暗黒時代」観の始まりとされる。ルネサンス期の見方では、中世は古代ギリシア・ローマの偉大な文化が衰退し、蛮族の支配する停滞した時代とされ、啓蒙主義の進歩史観の元でも中世は停滞した時代と考えられてきた。「暗黒時代」という概念は、イギリスの文芸評論家ケア(William Paton Ker)が1904年に著した "The dark ages" により一般にも広まった。
だが、イタリア・ルネサンス以前の時代にも古代文化の復興運動(例えば、9世紀フランク王国の「カロリング朝ルネサンス」や、10世紀東ローマ帝国の「マケドニア朝ルネサンス」および帝国末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」、西ヨーロッパにおける「12世紀ルネサンス」など)が存在しており、「中世ヨーロッパ=暗黒時代」(文化的に停滞した時代)という見方は否定されている。現在では、1000年頃までの中世初期を暗黒時代と呼ぶことが多いが、それもまた一面的であるとの批判もある。