智蘊
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智蘊(ちうん、生年不詳-文安5年5月12日(1448年6月13日))は、室町時代中期の連歌師。室町幕府の政所代を世襲する蜷川氏(宮道氏の後裔)の出身で、蜷川親俊の次子。俗名は蜷川親当(にながわ ちかまさ)、通称新右衛門。法名は五峰。
応安の頃まで越中国太田庄にあった。足利義教の政所公役を務めたが、義教の死後出家、智蘊と号した。和歌を正徹に学ぶ。正徹の『正徹物語』下巻「清巌茶話」は彼の聞書きとされている。
連歌では、1433年(永享5年)の「永享五年北野社一日一万句連歌」を初出として、多くの連歌会に参加。宗砌と共に連歌中興の祖と呼ばれた。 連歌集に『親当句集』があるほか、『竹林抄』『新撰菟玖波集』に入集している。宗祇が選んだ連歌七賢の一人。
子に蜷川親元がおり、彼が記した『親元日記』は当時の幕政を知る上で貴重な史料とされている。またこの中には、父智蘊と一休宗純に親交があったことや、一休の死が記録されている。
アニメ『一休さん』の主要登場人物・蜷川新右衛門のモデルとなった人物だが、実際一休宗純と交流があったのは出家後の晩年である。
墓所は宮道氏の京都真如堂(京都市左京区浄土寺真如町)に、墓碑は蜷川氏の菩提寺である最勝寺(富山県富山市蜷川)にある。
[編集] 関連事項
- 武蔵 - 智蘊の末裔とされる。