星野敬太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
星野 敬太郎(ほしの けいたろう、1969年8月14日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA世界ミニマム級チャンピオン。
現役時代、横浜市内のとんかつ店「美とん・さくらい」上大岡店の料理長を務めていたことは有名で、この時期に自身が考案したトレーニングメニューが「チャンピオン丼」として商品化され、現在も同店の名物となっている。現在は岐阜県でコパン星野敬太郎ボクシングジム会長として後進の育成に努めている。
新潟大地震が起こった際に若者を引率し被災地に救援に向かった。
現役時代は「テクニシャン星野」と呼ばれ、芸術的とも呼べる防御テクニックを武器に変幻自在のボクシングを披露。中島浩、横山啓介、鈴木誠ら当時の日本のトップボクサー達を次々と撃破し「日本最強の切り札」として世界に挑み見事初挑戦で世界王者となった。
また、現役引退と現役復帰を何度も繰り返したことから「狼中年」という愛称で呼ばれるようになったが、本人は然程悪くは思っていないようである。
入場曲はDEEP PURPLEの「smoke on the water」
最終戦績は33戦23勝 (6KO) 10敗。
目次 |
[編集] 戦歴
[編集] 黒星からのプロデビュー
- 1988年11月3日、花形ボクシングジム所属でプロデビュー。デビュー戦で4R判定負けを喫するが、後に星野は「あの敗戦があったから今の自分がいる」と語る。
- 2戦目からは5連勝を収め、戦績を6戦5勝(1KO)1敗とするが、7戦目から11戦目の戦績は5戦1勝4敗(3KO負)。11戦目までの戦績は11戦6勝(1KO)5敗という、まさに並の選手であった。
- だが、八尋史朗、ロッキー・リンら世界挑戦経験者とスパーリングを重ね12戦目からは実に5連勝(2KO)を収め、日本ランキングをグングン上昇。日本タイトル挑戦も決まり、日本王座前哨戦として迎えた18戦目、星野は格下と思われたフィリピン人相手にKO負けを喫してしまう。
[編集] 日本王座獲得、引退
- まさかのKO負けを喫した次戦、星野は予定通り、日本ミニマム級王者の横山啓介に挑戦。前回の試合のこともり、予想は横山の圧倒的有利だったが、星野は王者横山を圧倒し、8RTKOで勝利。日本ミニマム級王座を獲得する。
- 日本タイトルを獲得してからの星野は正に快進撃だった。後の東洋王者中島浩や、後の日本王者鈴木誠らを退け、5度の防衛に成功。
- 世界ランキングにも入り、世界挑戦も見えてきた矢先、星野は突如日本王座を返上し、引退を表明する。5度目の防衛戦となった中島戦を最後に、星野はボクシング界から姿を消した。
[編集] 世界王者星野誕生
- しかし、衝撃の引退から約1年半後、星野は再びリングに帰ってきた。再起戦の相手は、かつて自分が日本王座を奪った相手、横山啓介だった。この試合でも星野は、ブランク明けとは思えないほどのボクシングを展開し、10R判定勝ちで危なげなく勝利。復帰に成功した。
- 続く再起2戦目、今度は東洋王者となった中島浩と再戦。この試合でも星野が終始圧倒し、終盤には中島をダウン寸前にまで追い込むなど格の違いを見せつけ、10R判定勝利。国内最強を証明した星野は、世界挑戦の準備に入る。
- WBA世界ミニマム級王者ジョマ・ガンボアの世界王座に挑戦。これまで日本人相手に全勝を続けているガンボアには苦戦すると思われたが、星野は老獪な技術でガンボアを寄せ付けず、見事12R判定勝ちで世界王座を獲得した。
[編集] 王座転落、引退、そして復帰
- 世界王座の初防衛戦は、元世界王者のチャナに決定。星野が圧倒的有利かと思われたが、まさかの判定負けで世界王座から転落。星野はこの採点に不満の声をあげていたが、数日後に現役引退を表明した。
- 星野の王座は、チャナに渡り、数ヵ月後には新井田豊へを引き継がれた。新井田が世界王座を獲得した直後、引退宣言から数ヶ月後で星野は現役復帰を表明。
- 新井田が保持しているWBA王座に挑戦する意思を示していたが、新井田が突如王座を返上して引退。空位となった王座を、再びジョマ・ガンボアと争うことになる。この試合では、前回以上に星野が試合を支配し、見事判定勝利。2度目の世界王座獲得に成功した。
- 初防衛戦でノエル・アラムブレッドを挑戦者に迎えるも、アラムブレッドの反則ギリギリのボクシングに手こずり、小差の判定で世界王座から転落する。
- 試合後、モチベーションの喪失を理由に現役引退を表明。専門誌のインタビューに対し「今まで何度も現役復帰と引退を繰り返してきたから、また復帰すると思われているかもしれない。でも、現役復帰は絶対にありません」とコメント。グローブを壁に吊るした。
[編集] 狼中年・星野誕生
- しかしそのアラムブレッド戦から3ヵ月後、星野は再び現役復帰を表明。その時のコメントが「またやりたくなった」。これ以降、「テクニシャン星野」「トンカツボクサー」という愛称よりも、「狼中年」というニックネームをよく使われるようになる。
- 復帰戦で、WBA王座を保持しているアラムブレッドと再戦。今回は前回以上に善戦し、12R終了のゴングと同時に勝利を確信していた星野だったが、判定はアラムブレッドへ。試合後、星野は「もうWBAは嫌い。次からはWBCで戦う」とコメントし、再起に意欲を見せた。しかし後日、再起を返上して引退を表明する。
- その数ヵ月後、星野は再び現役復帰を表明。再び記者の前に姿を現した星野は、さすがにバツが悪そうな顔をしていた。
- 復帰戦でいきなりWBC世界ミニマム級王者のホセ・アントニオ・アギーレと対戦し、最終12Rにパンチを纏められてのKO負けで王座獲得ならず。試合後、星野は「最後の最後に本当に強い相手と戦えた。これで心置きなく引退できる」とコメントし、引退を表明。この試合を最後に「狼中年」は本当にボクシングから引退した。
[編集] 5つの記録
世界王者となった2000年12月6日のガンボア小泉(フィリピン)との試合で星野敬太郎は5つの記録を樹立している。その記録とは以下の通り。
- 世界王者(花形進)が経営するジムから世界王者が初誕生
- MI花形ジムから初の世界戦
- デビュー戦で敗北している選手として初めての世界王者
- 王者ガンボア小泉、日本人相手に初黒星
- 31歳という年齢での世界初挑戦
なお、当時は「最年長での世界王座初獲得」(31歳3ヶ月)という記録も樹立したが、後に越本隆志に破られた。