明石人
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明石人(あかしじん)は、日本の考古学史、人類学史の中で注目された古人骨。昭和6年(1931年)4月18日、当時アマチュアの考古学者(のち早稲田大学教授)だった直良信夫が、兵庫県明石市の西八木海岸で、ヒトの腰骨を発見した事により存在が明らかになった。
人骨は、発見後、鑑定のため東京大学の松村瞭のもとへ送られ、石膏模型を製作するなど、予備的な研究はなされたが、最終的な結論が出ないまま返却され、人骨を旧石器時代のものとする直良信夫の主張は、学界では認められないまま、昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲で、人骨そのものが消失。戦後、松村瞭が製作した石膏模型をもとに、長谷部言人が研究を再開し、昭和23年(1948年)、発見された人骨は原人のものであるとして「明石原人」と命名した。一方、東京大学の遠藤萬里と国立科学博物館の馬場悠男は、昭和57年(1982年)、人類進化史の各段階の人骨と比較して「明石原人」は現代的であるとして、原人ではなく、縄文時代以降の新人であるという説を発表した。また、国立歴史民族博物館の春成秀爾は、昭和60年(1985年)、西八木海岸で発掘調査を行い、人骨が出土したとされる地層と同じ層から、多数の木片を発見。5~6万年前に、旧人に相当する人類が存在していた事が証明された。しかし、人骨が、どの段階のものだったのかは、現在も解明されていない。