明帝 (南朝斉)
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明帝(めいてい、452年 - 498年、在位494年 - 498年)は、中国の南北朝時代の斉の第5代皇帝。姓は蕭、名は鸞、字は景栖、幼名は玄度,廟号は高宗。2代皇帝武帝の従兄弟。
幼い頃に両親を亡くし、叔父である蕭道成により育てられた。 武帝の死後、蕭子良とともに若き皇帝蕭昭業を輔佐するが、やがて蕭子良が亡くなった頃から実権を握り、蕭昭業、代わって皇位に就けた蕭昭文を次々に廃位・殺害し、ついには自らが皇帝となった。在位期間中は、皇室の権力の抑制策を採る一方、倹約を進め、地方からの進上も控えさせるなどの政策を行った。
有能だったが猜疑心が強い性格で、即位後に武帝の子孫を全員誅殺してしまうなどの所業を重ねた。
晩年は重病にかかり、道教に没頭したり、服装を全て紅くするなどの行動に出たが病は癒えず、498年に没した。
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