日進 (装甲巡洋艦)
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日進(にっしん)は日露戦争で活躍した旧日本海軍の巡洋艦。一等巡洋艦(装甲巡洋艦)に類別された。同型艦は春日。
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[編集] 概要
日露戦争開戦直前に、日本海軍がアルゼンチン海軍から買い取ったリヴァダヴィア級装甲巡洋艦2隻のうちの1隻である。アルゼンチン名は「モレノ」といった。
日露戦争中、蝕雷により戦艦2隻(八島、初瀬)を失った後は、戦艦と同等の戦力があるとみなされ、同型艦春日とともに第1艦隊第1戦隊に編入され、黄海海戦や日本海海戦の主力として活躍した。
日本海海戦では、少尉候補生として山本五十六(当時は高野姓)が乗り組み、海戦中に砲身爆発(敵弾によるとも砲門内爆発ともいわれている)により、左手中指と薬指を失っている。
ちなみに、明治39年(1906年)4月1日に愛知県愛知郡の香久山、白山、岩崎の3村が合併した際には、日進の日露戦争での活躍にあやかって新村名を日進村(現・日進市)としている。
[編集] 略歴
- 明治35年(1902年)3月29日 アルゼンチン軍艦としてイタリアで起工。
- 明治36年(1903年)2月9日 進水式。12月30日 日本海軍が購入。
- 明治37年(1904年)2月2日 一等巡洋艦に類別し日進と命名。2月7日 竣工。2月16日 横須賀へ回航。第3艦隊第5戦隊に所属。5月30日 第1艦隊第1戦隊に所属、第1戦隊旗艦。8月10日 黄海海戦に参加。
- 明治38年(1905年)5月27日 日本海海戦に参加。7月4日~ 第3艦隊第5戦隊に所属し、樺太占領作戦に参加。
- 明治39年(1906年)11月22日 第1艦隊旗艦
- 大正3年(1914年) 第1次世界大戦により、北太平洋、ボルネオ、シンガポール、南太平洋警備。
- 大正6年(1917年)4月29日 第1特務艦隊に所属、オーストラリア、インド洋で船団護衛。
- 大正7年(1918年)11月22日 第2特務艦隊に所属、マルタ基地から地中海船団を護衛後、日本に回航される旧ドイツ潜水艦を護衛。
- 大正10年(1921年)9月1日 一等海防艦
- 大正11年(1922年)4月4日 シベリア出兵により沿海州方面警備。
- 昭和6年(1931年)6月1日 海防艦
- 昭和10年(1935年)4月1日 除籍、廃艦第6号。10月9日 呉に回航し亀ヶ首発射実験場で大和級戦艦用の46cm砲弾実験に使用中、事故により浸水転覆。10月12日 引揚、曳航されて解体。
[編集] 諸元
- 基準排水量 7,700t
- 全長 105.0m
- 全幅 18.7m
- 最大速力 20.0ノット
- 武装 20.3cm砲4門、15.2cm砲14門、76mm砲8門、45cm魚雷発射管5門。
- 乗員 568名
[編集] 関連項目
- 日進 (巡洋艦)
- 日進 (水上機母艦)