文聘
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文聘(ぶんぺい、178年?-?)は、劉表、魏に仕えた武将。字は仲業。子は文岱・文休がいる。
南陽郡の人。はじめ劉表に仕えた。劉表死後はその後継ぎとなった劉琮、そして劉琮降伏後は曹操に仕えた。文聘は曹操に呼び出されたとき、 「荊州を守ることができなかったことが情けない」と涙を流した。この旧主に対する忠義を曹操から褒められている。
以後は曹操配下の武将として活躍し、赤壁の戦いでは水軍の将を務め、その後江夏の太守となった。曹丕の代には曹真、徐晃らと協力して呉に攻め入ったが、徐盛の前に大敗した。226年の曹丕の死の隙を突いて、孫権が襄陽に攻めてきたが、文聘はこれを撃退している。武勇に優れた勇将であった。