ノート:数学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
構造を定義して下さい、というメッセージが要約欄にあったのを見たので、参考までに提案してみます。僕は数学者としてのトレーニングは受けてないのでここに書くことにします。
構造は「諸概念の間の関係」または「諸概念の間の関係の形式的特性」とでも言い換えてはどうでしょうか。 Tomos 10:20 2003年4月27日 (UTC)
en:Monty Hall problemの一部訳を行ったのですが、どこからリンクを張ればよいのか迷っています。この数学のページに、「数学に関するパズル」とでも項目を作って、そこに加えてもよろしいでしょうか? 他に案があれば教えていただきたいと思いますMizusumashi 16:31 2003年7月11日 (UTC)
- 一応、数学に関する項目の一覧からリンクを張っておきました。あとは、確率や頭の体操とでもいう記事があればそこからリンクを張るのが良いと思いますが、どちらもないので、とりあえずはパズルからということになるのかな。出でやる 22:55 2003年7月11日 (UTC)
すいません、調べが足りなかったようです。確かに、数学よりも数学に関する項目の一覧からのリンクのほうがよりよいと考えます。リンクの追加ありがとうございます。
確率については記事を書く実力がないこと、パズルではどのあたりに挿入したらよいのかよく分からないことから、少し保留します。
なお、できましたら、モンティ・ホール問題自体の訳文などについてもご意見いただけたら幸いです(自信がないので(^_^;;)。
アブストラクト・ナンセンスという言葉はここではポジティブな意味で使われているが、元々はなんでもかんでも抽象化するブルバキのような連中に対して「抽象馬鹿」みたいな揶揄する意味かと思ったんだが、違うのかな?--Kachiyama 2004年11月18日 (木) 22:14 (UTC)
- 上記同感です。どちらかといえば皮肉っぽく(あるいは自嘲気味に)使われる言葉だと思います。あと、私は計算機科学が専門ですが、圏論のコンピュータネットワークへの応用というのは聞いたことがないのですけれど…プログラミング言語の基礎理論(特に型理論)には非常によく応用されているので、例としてはそちらの方が相応しいのではないでしょうか。--ぼのたけ 2005年11月19日 (土) 13:31 (UTC)
確かに元は皮肉ではありますが、岩波から出ている加藤五郎『コホモロジーのこころ』というコホモロジーを圏論から丁寧に教えてくれる本には general nonsense と言われるけれども general full-sense に変えたいくらいそこには意味が詰まってるんだというような反論のようなものが書かれています。 --132人目 2005年11月23日 (水) 17:20 (UTC)
- 私も自分の分野の論文で同様の反論をみかけた記憶がありますが、ただアイロニックな表現と言うのは得てして揶揄と賛美の両方を併せ持つものだと思います。しかしながら、肯定的な意味のみを第一義として説明しすると、本来のニュアンスとはかけ離れてしまいます。少なくとも、記事にある「極めて高い抽象性を持つ議論を経て極めて具体的な結果を得るような」という表現は、かなり外しているような…違う意味の語に読めます。--ぼのたけ 2005年11月23日 (水) 18:20 (UTC)
[編集] ウィキポータル数学
電気山羊と申します。どなたかこの分野でのウィキポータルに興味のある方はいらっしゃいますか?詳細はWikipedia:ウィキポータルをご覧ください。設置までの技術的なことであれば協力できます。ご質問がございましたらWikipedia‐ノート:ウィキポータルにてお願いします。ご一考いただけると幸いです。電気山羊 2004年10月19日 (火) 21:19 (UTC)
[編集] 賞
数学に関する賞(フィールズ賞など)の一覧みたいなものも掲載していただけると、ありがたいです。--五寸法師 2005年11月23日 (水) 05:19 (UTC)
- 一覧みたいなものは書く人が出てこないとできませんけど、いまある記事についてなら Category:数学者というところの項目の + の部分にまとめてあります。 --132人目 2005年11月23日 (水) 17:20 (UTC)
[編集] 数学に関する文化
数学を愛した作家たち 新潮新書 片野 善一郎 新潮社 ISBN 410610167X を記載しようと思うのですがここの記事は学問としての数学しか記載できそうもないようです。文化とか歴史とか受容反発など人間と数学の関わりの記事は作成しないのでしょうか?Izayohi 2006年6月11日 (日) 10:23 (UTC)
- 数学史や文化的な文脈の中での数学に関する記述はあって当然だと思います。古代文明における数学や古代ギリシャ数学の神秘主義から始まってアラン・ソーカルの『「知」の欺瞞』etc.にいたるまで書くことはいっぱいありそうですよね。ただ、「数学を愛した作家たち」はまだ読んでいないので明言は避けますが、宣伝文句を見た限りでは(数学から見ると)ちょっとネタ的な要素が大きくて各作家の項に書き込んだ方がいいのかもという印象を受けました。デカルトやサルトル(多分ほかにも)が一つの純化された思考様式として数学を称揚していたのとあわせたりして、もうちょっと膨らませて統一的な文脈におけばこっちでもいいかもしれませんが。--Makotoy 2006年6月11日 (日) 22:27 (UTC)