放生津城
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放生津(ほうじょうづじょう)は、富山県射水市(旧新湊市)の海岸部にあった平城。
鎌倉末期に守護名越氏が置いた越中守護所を起点とする。南北朝期の争乱で落城したことが「太平記」に記される。室町期になると、守護畠山氏に代わり射水郡・婦負郡守護代神保氏が入城した。1493年、明応の政変で自害した畠山政長の重臣であった神保長誠は、政変で幽閉された将軍足利義材を脱出させ、この地に迎え、上洛のための諸準備を進めた。1520年(永正17年)に越後守護代長尾氏の攻撃で落城。その後すぐ神保氏により再建され、近世初期に廃城となった。城跡は畠とされ、江戸後期に加賀藩前田家の米倉が設けられた。その折作られた城絵図である「放生津古城跡御蔵屋敷絵図」(国指定重要文化財「石黒信由関係資料」)は射水市新湊博物館に保管されている。現在、遺構は射水市立放生津小学校グラウンド地下2メートルの位置にあり、地表から見えない。1988年、1989年、1991年に試掘調査が行われ、出土品の一部が射水市新湊博物館で常設展示している。なおグラウンド周囲に有る土盛りは砂止めであり、土塁遺構ではない。