怒和島
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怒和島(ぬわじま)とは、愛媛県松山市の島。松山市の北西部、山口県・広島県に海をはさんで向かい合う忽那諸島の一部。諸島のうち、有人島の内では最も北にあたり、対岸は広島県。
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[編集] 概要
- 周囲 13.5km
- 面積 4.80km²(平成16年調べ)
- 南北にやや細長く、島全体が一つの山となっている。中島本島との間のクダコ水道は急流で知られ、まんなかにクダコ灯台があり、周囲は潮流にもまれた魚が群れる好漁場となっている。
[編集] 地名の由来
怒和は、鎌倉時代の古文書にも見られる古くからの地名である。康応元年3月に足利義満が安芸国厳島神社を参拝した際の記録に、安芸国蒲刈島に向かう途中「ぬわ」以下の島々が見えるとある。(鹿苑院殿厳島詣記)
[編集] 歴史
- 1889年 風早郡元怒和村・上怒和村・津和地村・二神村の合併により神和村(じんわむら)となる。役場もこの島におかれていた。この関係で、高齢者には今も「神和では」と口にする人が居る。
- 1896年 温泉郡となる。
- 1959年 中島町と合併
- 2005年 松山市と合併
[編集] 産業
[編集] 社会
- 集落 元々は一つの集落であったとみられるが、何時の頃からか、島の東西に2つの集落ができ、離島航路がそれぞれに寄航している。以前には神和村の役場があったため、商店なども数軒ある。
- 人口 600人
- 小学校 1校
- 中学校 1校