忌部色夫知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
忌部色夫知(いんべのしこぶち、生年不明 - 大宝元年(701年)6月2日)は、日本の飛鳥時代の人物である。氏は「いみべ」、「いむべ」とも読む。名は色弗、色布知とも書き、「しこふち」とも読む。旧仮名遣いでの読みは同じ。姓は首、後に連、さらに後に宿禰。672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)の側についた。690年に持統天皇が即位する儀式で神璽の剣と鏡を差し出す役を務めた。贈従四位上。
『日本書紀』の壬申の乱のくだりに忌部色夫知の名は見えず、兄の忌部子人が見える。しかしながら『続日本紀』の死亡記事から色夫知も何かの活躍をしたことが知れる。
天武天皇9年(680年)1月8日、忌部首(忌部子人)に連の姓が与えられた。首は弟の色弗とともに喜び、天皇を拝した。天武天皇13年(684年)12月2日に、忌部連など50氏が宿禰の姓を与えられた。
持統天皇4年(690年)1月1日、皇后として称制していた鸕野讚良皇女が即位した。持統天皇である。このとき、物部麻呂(石上麻呂)が大盾をたて、中臣大島が天神寿詞を読み、その後に忌部色夫知が神璽の剣と鏡を奏上し、これによって即位となった。
大宝元年(701年)6月2日、忌部宿禰色布知は死んだ。正五位上であった。詔があって、壬申の年の功により従四位上が贈られた。