式場壮吉
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式場壮吉(しきばそうきち 1939年2月9日-)は日本のモータースポーツ創生期のレーシングドライバー。
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[編集] プロフィール
[編集] 初優勝
1939年に千葉県市川市に生まれる。成城大学出身。学生時代から同郷出身でライバルでもあった浮谷東次郎や、生沢徹、本田博俊、杉江博愛(のちの徳大寺有恒)、福澤幸雄などの日本のモータースポーツ草創期を支えた名ドライバー達と親交があった。1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリでは、トヨタのワークスドライバーとして、コロナで出場し、C-Vクラスで優勝した。
[編集] スカイライン伝説
翌年行われた第2回日本グランプリでは、自ら購入したポルシェ904で出場。一説にこのポルシェはトヨタが手配し、式場の個人出場という形式にしたのではないかと言われてもいる。このレースではプリンススカイラインGT-Bの前評判が高く、とうていかなわないと判断したトヨタは自社のマシンが優勝できないまでも、スカイラインが優勝するのだけは阻止しようとしたのではないか、というのだ。
式場のポルシェ904は一応市販車(実際、ホモロゲーション枠で生産されたうち、相当数が個人オーナーのものとなっている)とはいえ基本的にレーシングカーだけに、スカイラインを寄せ付けない速さを見せた。しかし運転ポジション(ペダル位置)の調整機構がトラブルを起こし、直線に続く第一コーナーを曲がりきれず予選でクラッシュしてしまう。FRPボディが衝撃を吸収したため式場に大きな怪我はなかったが、車体は大破。当時FRPの修理を行える修理工場は少なく、鈴鹿から名古屋の工場まで移動し徹夜で応急的な修理が施され、ギリギリのタイミングで決勝出場に間に合った。FRPの骨格にするための適当な繊維がなく、旅館の浴衣を使用するような状況だったらしい。鈴鹿サーキットまでの道を警察の先導で自走してきて、コース上でゼッケンを貼るような緊迫した事態だった。
こうして迎えた決勝だが、クラッシュで各部バランスが崩れた状態のため、式場はマシン本来のスピードで走行することができなかった。しかも途中で運転スキルのない周回遅れの女性レーサーにコースを塞がれたために、食らいついていた生沢徹のスカイラインに一時抜かれてしまう。生沢スカイラインが式場ポルシェを従えて最終コーナーを立ち上がってきた際、メインスタンドの観客は驚きと興奮のあまり総立ちになったと言われる。当時世界最高峰のピュアレーシングカーのポルシェ904を、国産の量産セダンがベースのスカイラインが抜いたことから、所謂「スカイライン伝説」が生まれることとなったのだ。しかし式場は生沢を再び抜き返し、その後は完全に独走状態で優勝した。
この「スカイライン伝説」誕生には、仕掛けがあるのではと見る向きもある。いかに事故後とはいえポルシェ904の性能は圧倒的に高く、普通ならスカイラインが付いていくことさえ困難で、抜くなどというのは夢のまた夢のはずだった。そのため一部では、式場と生沢の間で何らかの談合があったのでは、という説もささやかれているのだ。二人は友人どうしであり(先述のポルシェ破損の修繕をライバルチームの生沢も手伝っていた)、レース前に生沢が「もし抜けたら1周だけは前を走らせてほしい」と式場に話していたらしいというのだ。その類の会話は実際にあったらしいが、二人の間のジョークの範疇と見ることも可能で(ときに否定、ときに肯定しているなど二転三転)、その真相は未だ持って藪の中の状態である。
[編集] 早すぎる引退
その後、浮谷や生沢らとイギリスのジム・ラッセル・レーシングスクールに参加したもののドライバーは引退。レース用の専門グッズを扱うレーシングメイトを設立し、浮谷東次郎をロータス・エランでレース出場させたりもした。危険が伴う遊びである自動車レースに対し、自分なりの一線を引いていたのだろう。この辺りがいかにも資産家の坊ちゃんらしいところである。なお生沢は式場に対し「才能的には自分より式場の方が上」との談話を残している。
その後もベントレーを日常の足として愛用するなど、庶民のマニアとは次元が違う自動車趣味で知られる。近年ではミッレミリアなどのクラシックカーレースには時々参加している。また1990年代初頭には、復活したフランスの名車・ブガッティの日本におけるアドバイザーとなった他、「NAVI」、「ENGINE」などの自動車雑誌に度々登場。レースは引退しても自動車好きではあり、現在でも折りに触れ自動車マスコミに登場する。
(参考:井出耕也『むかし、狼が走った』)
[編集] 家族
1978年に中華民国の国民的歌手である欧陽菲菲と結婚しマスコミを騒がせた。ちなみに式場は再婚である。精神病理学者・式場隆三郎の甥。式場自身は病院のオーナーではあるが、医師・医学者ではない。