平塚八兵衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平塚八兵衛(ひらつかはちべえ、1913年9月22日 - 1979年10月30日)は警視庁に在籍した刑事。茨城県出身。
昭和14年(1939年)鳥居坂署(現・麻布署)初任。当初は外勤(交番勤務)であったが、泥棒の検挙率が警視庁管内でトップとなり、間もなく本庁に引き抜かれ「花の捜査一課」勤務。以後、昭和18年(1943年)から昭和50年(1975年)に退職するまでの32年間を捜査一課一筋で過ごす。在任中に手がけた事件は殺人だけでも124件に上る。「落としの八兵衛」「ケンカ八兵衛」「オニの八兵衛」など数々の異名を持つ。
三億円事件捜査主任を最後に退職後は事件のコメンテーターとしてテレビ出演などもしていたが、退職後のわずか4年後に膵臓がんにより死去。
巡査から巡査部長・警部補・警部・警視とすべて無試験で昇進。警察功労章を帝銀事件で、警察功績章を吉展ちゃん誘拐殺人事件で受章している。在職中に両章を受章しているのは平塚だけである。
[編集] 主な取り扱い事件
- 小平事件
- 片岡仁左衛門一家殺人事件
- 帝銀事件
- 下山事件
- スチュワーデス怪死事件
- 吉展ちゃん誘拐殺人事件
- カクタホテル殺人事件
- 三億円事件
[編集] 参考文献
- 『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』(佐々木嘉信、新潮文庫、2004年)