川内 (軽巡洋艦)
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川内 (せんだい)は、14隻建造された日本海軍の5,500t型軽巡洋艦の最終型(3番目)である川内型軽巡洋艦の1番艦。姉妹艦として、2番艦の神通(じんつう)、3番艦の那珂(なか)が建造された。
艦名は2等巡洋艦の命名慣例に従って、九州南部を流れる川内川(せんだいがわ)にちなんで名づけられた。5,500t型は3本煙突で建造されてきたが、川内型3隻は4本煙突で建造された。その理由は八八艦隊計画と大いに関係している。即ち、今後軍艦数が増えることにより重油の使用量も増大することが予想されたため、川内型では前の姉妹艦(球磨型と長良型)に比べて石炭を多く使用できるようにして重油使用量を少なくすることを狙ったためである。 長良型に引き続き61cm魚雷発射管(但し2連装)を採用。昭和に入ってからの近代化工事では、川内のみが第一煙突の短縮を実施する改装を受けている。また艦首は竣工時のスプーン・バウのままであった点や艦橋が一層低くなっている点などから姉妹艦である神通・那珂との識別は比較的容易であった。しかし、川内のみは61cm4連装発射管への換装などの改装は受けないまま太平洋戦争に参戦した(ちなみに、僚艦の神通と那珂は61cm4連装発射管へ改められたとするのが従来の説であったが、近年は神通も川内と同じく61cm2連装発射管のままであったとする説も出てきた)。 戦時中に阿賀野型軽巡が就役するまでは川内型が日本海軍の最新の軽巡洋艦であったため、近代化改装も他の5,500トン型軽巡洋艦よりも優先的に為された。そのため、川内型3隻は長きに渡って水雷戦隊の旗艦を務めており、川内の場合は開戦から第3水雷戦隊の旗艦を務めていた。
[編集] 艦歴
1922年2月16日、三菱長崎造船所にて起工。1923年10月30日進水。1924年4月29日竣工。
太平洋戦争中はエンドウ沖海戦やミッドウェー攻略作戦、第三次ソロモン海戦などに参加した。1943年11月2日ブーゲンビル島沖海戦で米艦隊と交戦、沈没。
[編集] データ
- 基準排水量 5,195t
- 垂線間長 152.4m
- 全幅 14.2m
- 主機 オール・ギヤードタービン4基4軸、90,000馬力
- 速力 35.3ノット
- 兵装 14cm50口径単装砲7門、61cm連装魚雷発射管4基 他
- 装甲 水線64mm 甲板29mm
[編集] 同型艦
- 神通
- 那珂
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