岡野功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
男子 柔道 | ||
金 | 1964 | 中量級 |
岡野 功(おかの いさお、1944年1月20日 - )は日本の柔道家。
茨城県竜ヶ崎市出身。茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒。中央大学法学部に在学中の1964年に東京オリンピック(中量級)に出場し、金メダルを獲得。翌1965年の世界選手権(中量級)でも優勝、わずか21歳にして柔道中量級における世界のトップ選手となる。1967年には全日本選手権で優勝し、柔道3冠を獲得。翌1968年準優勝、1969年に優勝と3年間も体重無差別の全日本選手権で決勝に進出した事は、80kgに満たない小さな体を考慮すれば特筆すべき偉業と言えよう。
練習量をもって磨き上げた背負投,一本背負投を武器に体重差を克服し、寝技も強く、まさしく技術巧者であった。なお、総合格闘技でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが使い有名になったスピニング・チョーク・スリーパーは、40年前の東京オリンピックで岡野が使った技である。当時この技は知られていなかったため、主審は相手選手の押さえ込みを宣誓するという珍事が起きている(相手選手が失神したため主審が気付き、岡野の勝利とした)。
引退後、1970年に正気塾(現在は流通経済大学柔道部の合宿施設)を設立。後に世界チャンピオンとなる二宮和弘らを育て上げた。1976年のモントリオールオリンピックでは日本代表チームのコーチとして参加、その後も慶応義塾大学(1989年-1998年)、東京大学(1989年-2000年)の柔道部で師範を歴任。現在は流通経済大学経済学部の教授であり、体育指導センター所長や柔道部部長として後進の指導にあたる。
著書の「バイタル柔道(投技編・寝技編)」は柔道教本の定番として、関係者から長く愛読されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の柔道家 | 日本のオリンピック選手 | 1944年生