岡田信一郎
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岡田 信一郎(おかだ しんいちろう、1883年11月20日 - 1932年4月4日)は明治・大正・昭和初期に活躍した建築家である。東京生まれ。
東京高等師範学校附属中学校、第一高等学校、東京大学卒業。東京美術学校(東京芸術大学)、早稲田大学で教壇に立ち、多くの後進を育てる。
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[編集] 経歴
- 1883年(明治16年)出生、父は陸軍薬剤官、岡田謙吉
- 1903年(明治36年)第一高等学校卒業、東京帝国大学工科大学へ入学
- 1906年(明治39年)大学卒業、恩賜銀時計を賜る
- 1907年(明治40年)東京美術学校講師
- 1911年(明治44年)早稲田大学講師(翌年教授)
- 1912年(明治45年)大阪市公会堂指名設計競技に参加、1等当選
- 1923年(大正12年)東京美術学校教授
- 1932年(昭和7年)逝去
[編集] 主な作品
- 大阪市中央公会堂(1917年、原案:岡田、実施設計:辰野片岡事務所)
- 大阪高島屋(1921年、現在の店舗とは別。改造甚だしい)
- 鳩山一郎邸(1924年、鳩山会館、岡田とは高師附属同期の9回生)
- 歌舞伎座(1924年)
- 東京府美術館(1926年、東京都美術館、現存しない)
- 黒田記念館(1928年)
- 日比谷高等学校講堂(1929年、1994年取壊し)
- ニコライ堂修繕(1930年)
- 博報堂(1930年)
- 明治生命館(1934年)
- 琵琶湖ホテル(1934年、びわ湖大津館)