少弐経資
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少弐 経資(しょうに つねすけ、1225年(嘉禄元年)?-1291年(正応4年))は鎌倉時代中期の武将。少弐資能の子で、少弐景資の兄。 北九州の名門少弐氏の当主。
父存命中から共に北九州の統治に当たり、1274年の文永の役では父や弟と共に参戦して奮戦した。1275年、父から家督と所領を譲られた。1281年、弘安の役では壱岐にわたって元軍と戦い、奮戦した。しかしこの戦いで子の少弐資時を失ってしまった。その後も大友頼泰と共に鎮西奉行の一人になるなど、九州の軍政に貢献した。1284年、執権の北条時宗が死去したのを契機に出家し、浄恵と号した。翌年の霜月騒動では平頼綱側に与して、安達泰盛側に与した景資を討ち取った。1291年に死去。