少弐冬資
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少弐 冬資(しょうに ふゆすけ、? - 1375年9月22日(天授元年/永和元年8月26日))は南北朝時代の武将。北九州の名門少弐氏当主。少弐頼尚の次男。
冬資が当主を務めていた頃、九州では菊池氏や懐良親王などの南朝勢力が台頭し、北朝勢力、すなわち幕府側の勢力は押されていた。このため冬尚は大友氏や島津氏と協力して南朝勢力と戦う一方で、幕府から新たな九州探題を派遣してくれるように要請していた。時の将軍・足利義満はこれに応じて1371年、今川貞世(了俊)を探題として送り込んだ。貞世のもとで1372年から反攻に転じた幕府勢力は、徐々に南朝勢力を駆逐し、1374年には島津・大友、そして少弐の援軍を得て一挙に南朝勢力を駆逐しようとしたが、冬資はこの頃、貞世と仲が悪かったために援軍を送らなかった。
しかしこのため、貞世に南朝側と内通していると猜疑され、翌年に冬資は貞世によって謀殺されてしまったのであった(水島の変)。その後は弟の少弐頼澄が家督を継ぎ、少弐一族は南朝方として貞世に抵抗した。
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