Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions 小諸藩の家臣団 - Wikipedia

小諸藩の家臣団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小諸藩の家臣団(こもろはんのかしんだん)は、信濃国小諸藩主に仕えた家臣である。御城番組以外は、主君の領地替えに伴って随従するのが原則である。

小諸藩では仙石氏、久松松平氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、大給庶流・石川松平氏、牧野氏と7家が在封した。ここでは、在封が最長であった牧野氏の家臣団(特に重臣・門閥を中心)について詳述する。牧野氏は江戸時代中期の元禄15年(1702年)に表高1万5千石(内高3万石)で小諸城に入封し、廃藩置県明治4年(1871年)まで10代170年間にわたって在封した。なお、小諸藩(現在の長野県小諸市を中心とした)の概要・職制等については小諸藩を参照されたい。

目次

[編集] 家臣団の特徴

藩主牧野氏の直接・確実な先祖は、室町戦国期三河国宝飯郡(現、愛知県豊川市)の牛久保城主(6000石から7000石)であったが、徳川家康の旗下となり急成長を遂げていた。

当然、新規に召し抱えが多数行われて、家臣団は急増した。こうした中で、三河国牛久保城主以来の譜代の家臣は、牧野家中において、ステータスとなっていた。

小諸藩は、越後長岡藩の支藩であるため、上級家臣団には、古参の出自を持つ者は、本藩の越後長岡藩と比較して、少ないものと推察される。古参・譜代の出自を持つ者は、重臣に任命されるか、加増を受けられる場合などを除き、支藩に出たがらない傾向があったのは、ここでも例外ではないと想像される。

小諸藩牧野氏家臣団で云う古参・譜代とは、室町・戦国期に藩主牧野氏の先祖が、愛知県豊川市の牛久保城主であった頃から臣従(あるいは与力)していた家を指す。

小諸藩主、牧野氏では、番頭職に3代以上、就任すると、上禄の家柄、また給人職以上に3代以上就任すると中禄の家柄、これ未満の士分の家柄を下禄の家柄と制度上、呼んだ。士分未満の卒族として足軽・中間・小者があった

小諸藩主牧野氏が側室と儲けた庶子が養子縁組先や名跡継承先を見つけられずに、その家臣となった場合は、原則として50石とされ、給人の家柄とされた。また藩主が正室と儲け成人した男子は、牧野徳済(300石)(正徳3年生-延享3年没)を除きすべて他家と養子縁組または、名跡の継承が行われている。牧野徳済の男子、友太郎(改名・幸十郎)は、宝暦7年に13歳で夭折し、その直系子孫は残っていない。

また50石・給人以上の家柄の者には、馬上が許された。実際に50石で自家用の馬を飼えるわけはなく、あくまで格式に過ぎない。従って狭義の上級家臣は、上禄の家柄の者であるが、広義の上級藩士とは、小諸藩にあっては、馬上資格があることを根拠に50石クラスの中禄以上の家柄と云えよう。

その他の特徴として、藩主牧野氏が小諸城主に栄転となる数年前に、上野国沼田藩主・真田氏が改易となったことで、高崎で浪人暮らしをしていた同藩の浪人を数名から10人近く新規召し抱えをした。


[編集] 家老

牧野氏が小諸藩を立藩した当時、元禄15年(1702年)は、四天王家(家老格連綿)といわれる4家(八郎左衛門流牧野氏真木氏稲垣氏加藤氏)があった。

家老定数は、原則として3名であったが、例外的に4名が置かれることもあった。

與板(=与板)時代から、小諸移封後の3代目・藩主に当たる牧野康満の治世までは、八郎左衛門流牧野氏・真木(槙)氏・稲垣氏・加藤氏・木俣氏・野口氏・倉地氏以外からの家老の登用は、まったくなかった。
この中で、野口氏は、与板在陣時代に謀略(あるいは権力闘争)により改易され、倉地氏は、本藩の越後長岡藩に帰参、木俣氏は病身により失脚していた。 八郎左衛門流牧野氏・真木(槙)氏・稲垣氏・加藤氏については、下記の四天王家の項目を、改易された野口氏については、与板藩を、倉地氏・木俣氏については、下記の一代家老及び、用人格の項目を参照されたい。

また江戸時代後期となった寛政6年(1796年)に、小諸藩主牧野康周の庶子である牧野康那が家老上席となり、家老格連綿の家が一戸増加した。

在所の小諸では、城代家老を連綿としてきた八郎左衛門流牧野氏の立場は微妙となり、これ以降、当然のように城代家老に就任できなくなり、藩内派閥化と抗争の温床となった。小諸藩主・牧野氏にあって、藩主家の庶子が、牧野姓のまま家臣取り扱いとなったことは、3~4例あるが家老職・家老格などとなったのは、牧野康那の1例のみである(但し者頭格として、牧野八郎左衛門家から分家した出自を持つ牧野庄兵衛家の名跡を継承したと推察される)。

牧野氏(庄兵衛家)、及び四天王家となる稲垣氏、加藤氏は、藩主の庶子が、名跡を継承(あるいは養子相続)をしているため血統的には、藩主牧野氏の近親者であり、一門となる。
四天王家となる真木氏は、藩主家より養子をもらい受けたが、夭折し、実弟が養子として家督を相続したため、血統的には藩主牧野氏の一門とならないが、養子を受けた実績があると云うことで、やはり一門の一つとして考えられた。

藩主牧野氏が、信濃小諸藩に移封されてから、大きく年数が経過していないと推定される小諸藩分限帳によると、家老職は300数十石で並んでいる。
しかし、小諸藩家老格5家は、やがて知行高による蔵米取りを一部修正され、等しく知行200石高となり、これに籾米100俵から100数十俵が給付されたほか、給人地(田畑)が与えられた。籾米の俵数は、家老格5家によって異なる。
家老格5家は、実質的には知行300数十石から、400石程度であった。これは本藩・長岡の番頭級の家柄と同格の待遇である。
藩主家が、長岡から与板に分家した当初(家臣筆頭で280石)と比較すると、藩主牧野氏の栄転により、その恩恵を受けたことが伺える。

家老格5家が家老本職に進むと、50石が加増され、これ以外の家格の者が家老本職に就任すると、知行高と250石の差を足高として、支給された。
この措置は、幕府の足高の制や、本藩である長岡の宝暦の制の影響を受けたものと考えられるが、家老の家柄であっても、家老本職に就任できない例が増えたことも、背景にあると推察される。

諸藩にもみられるように、江戸時代の後期になると、家老の家柄でなくても、家老職にに登用される機会が増えていたが小諸藩主・牧野氏も、人事に保守的とはいえ同様の傾向にあった。

小諸藩主、牧野氏では、家老の家柄であるから、子供であっても家老職に、就任させるということはしていなかった。これは本藩の越後長岡藩とは異なるところである。
家老の家柄から適当な者がいないときには、用人格以下の功臣・老臣から、人選されていたためか、一代家老の在職年数が比較的短い(但し、一代家老の村井氏は、在職年数が約9年と長い)。

[編集] 四天王家

[編集] 八郎左衛門流牧野氏

はじめ牧野平四郎家と呼ばれ、三河国宝飯郡牛久保伊奈口の住人であった牧野平三郎・弟の家系である。現代の伊奈には、名鉄名古屋本線伊奈駅があるので目標となる。牧野平三郎・平四郎兄弟は、牛久保密談記の天文13年(1544年)の記事にその名が見える。また天正18年(1590年)の越後長岡藩牧野家文書の大胡江御引っ越し御人数帳に牧野平四郎の名が見える。

藩主牧野氏の系図は、牛久保城主牧野成定(1525年生まれ - 1566年没)以前については、諸説があり定説をみないが、牧野成定は、与板藩を立藩した牧野康成(=武成)の曾祖父となる。八郎左衛門流牧野氏は、藩主牧野氏とは同族異流であるが、藩主牧野氏と同一の先祖まで遡る客観的(あるいは確実)な史料は現存していない。先祖が同一となる年代を推定したとすれば、最も早くて室町時代中期、遅ければ平安時代末期と考えられる。第一説として阿波の大豪族で平氏の重臣であった田口成能の嫡子・教良の三男となる成継を祖とする牧野氏家系は、平三郎を襲名していた。真偽のほどは定かでないか、牧野平三郎時成が、元弘3年(1333年)の鎌倉幕府総攻撃で、朝廷側の倒幕軍に属して討ち死にしたと云う。その総領の平三郎孝成が三河国内に地頭職の恩賞をたまわった。やがて牧野平三郎家は、室町時代に幕府重臣である四職・一色氏直参の家臣となったが、応仁元年(1467年)にはじまる応仁の乱で、主家となる一色氏が敗北したことで影がさしていた。また牧野平三郎家の傍流家系の出身者であった牧野貞成は、弘治2年(1556年)に、戦国大名の今川氏に謀反の疑いをかけられて、牛久保城主の地位を認められなかった。今川氏は、同族から牧野成定を養子として迎えさせ、貞成は蟄居させることによって解決した。 牧野成定は、越後長岡藩主牧野氏や、小諸藩主牧野氏の直接の先祖となるが、一方の牧野平三郎嫡家の家系は細々と続いていたことは確実である。しかし、平三郎の嫡家は、文明年間の忠高以降、詳細なものが伝わっていない。天文弘治年間の牧野平三郎は、数種類が残る牧野系図を分析しても、この時代に牧野氏で実力があった牧野保成・貞成・成定等との続柄を特定することができない。その他、異説は数多く存在し、越後長岡藩主牧野氏に伝わる『御系図』に従うと、藩主牧野氏の先祖は、田口教良三男・成継に求めず次男・成教としている。従って田口成能(成良・重能とも云う)の嫡子・教良(平安末期から鎌倉初期の12世紀の人物)が、藩主牧野氏と、八郎左衛門流牧野氏の共通の先祖となる。また田口教良の次男で、藩主牧野氏の祖となったとされる田口成教の実在性は疑わしく、実は牧野氏は東三河の在地の開発領主であったものを、成教という架空の人物を創作して、室町時代の三河国守護職・細川氏の前任地である四国の大族・田口氏より仮冒系図を作ったとする説もある。また田口成能・弟の成直(教能)を藩主牧野氏の祖とする系図も存在するが教良と教能(成直)を混同したものと推察される。以下諸説は割愛するが、いずれにせよ八郎左衛門流牧野氏は、越後長岡藩主や小諸藩主となった牧野氏家系の庶子や、近親者を祖とするものではなく、かなり時代を遡らないと家系は同一とならない。
牧野八郎左衛門家の遠祖については、三河牧野氏両説折衷論・並びに牧野平三郎系にも説明がある。

牧野平三郎家の庶流となる牧野平四郎政直は、藩主牧野氏の先祖が16世紀の牛久保在城期にその家臣となり、その直系子孫は、大胡・長岡・与板と随従した。4代目の牧野平四郎(=庄次郎)が、与板侯牧野康成付きの家臣となって、通称を八郎左衛門と改称した。家臣中で次席の家柄であったが、倉地弥治衛門直秀が本藩の長岡に帰参すると、家臣筆頭の家柄となった。小諸に移封されてからは用人から、城代家老に就任するのが例であった。この系には、小諸藩内に3~4の分家がある。牧野姓で維新期に上禄の家格に認定されたのは、当家と、その分家の牧野庄兵衛(=隼之進)家の2戸である。

[編集] 真木(槙)氏

真木氏遠祖が、14世紀に河内国から、三河国宝飯郡(愛知県豊川市)に渡来したのがおこりである。永禄4年(1561年)に、真木氏当主は、牧野氏の拠点、牛久保城が落城の危機に陥ったときに、留守を預かり獅子奮迅の働きをしてこれを死守して、討ち死にするなど牧野氏に尽くした。真木氏は、藩主牧野氏の家臣ではなく、兄弟分の契りを結んでいた特別な由緒のある家柄として特権的な扱いを受けていた家系である(越後長岡藩牧野家文書・温古之栞などに収載)。真木氏の出自については、三河真木氏に詳しい説明がある。

真木氏は初め3,000石で、牧野家中で家老首座・家臣筆頭を凌ぐ最大の客将(客人分)であったが、その子孫は分割されて、譜代大名牧野氏の家臣団に吸収された。
与板・小諸藩士となった系は、大坂夏の陣で、戦功があった真木金右衛門を祖とする。天正18年(1590年)の越後長岡藩牧野家文書の大胡江御引っ越し御人数帳に真木(槙)金右衛門の名が見える。与板在陣時代は、野口氏の改易や木俣氏の病気による致仕により、番頭(足軽頭兼帯)を勤めた後に、延宝6年(1678年)に在所の家老職に進み、家老連綿の家柄となった。

その後、一時、本藩の長岡に帰参した云う伝説と、そのまま小諸に隋従したとする2つの異なった伝説がある。真木(槙)氏は、はじめ本藩の越後長岡藩から、支藩の与板侯が小諸城主に栄転に当たって付家老に任命され、その後に江戸家老となったとするは、真木氏のみにおいて主張され、小諸藩文書などに見ることはできないが、元禄年間に真木(槙)権左衛門が、本藩の長岡から家禄の給付を受けていたことは、史料的決め手が存在する(越後長岡藩元禄分限帳)。この家禄は本藩から支藩に添えられた付家老に、給付される手当の性格を持つものであるかどうかは、未解明である。一般論として付家老は本藩と支藩の双方から家禄を支給されるが、真木(槙)氏が付家老であったことを否定したとすれば槙(真木)権左衛門が、本藩から受けていた家禄の説明が厳しいものとなる。与板侯・牧野氏が元禄15年(1702年)に、加増となり小諸城主に栄転したとき、本藩の押さえとして赴任したとされる真木氏(槙権左衛門)は、江戸家老に就任するのが例となり、家臣中次席の家柄となった。

江戸時代後期となった化政期に分家を分出して、家禄が細分化され本家の家禄が細ると、城代家老より格下の国家老となることもあった。真木氏は、別家となった庶流が、信濃高遠藩家老の庶子を婿養子を迎えて、江戸留守居役として藩主の信任を得て班を進めたことなどによって、維新期に真木氏は、上禄の家格に3戸が認定された。小諸藩主牧野家中において一族が3戸、御奏者番格以上に名を連ねた藩士は、真木氏をおいて他にない。またマキ氏は、姓を槙と書いたり、真木とも書いたりしているが、小諸藩士の真木氏と、槙氏は同族異流ではなく、同一人物であることもある。天保3年(1832年)以降は、真木として統一されている。

[編集] 稲垣氏

本藩の越後長岡藩の牧野家中において、最大の門閥勢力であった。越後長岡藩の家老首座・城代家老は、稲垣氏(初め2400石)であるが、その筋目を尊重され、長岡では、父が早世のときには、子供であっても家老職に就任させていたほどの権威ある家系であった。越後長岡藩の家老首座の稲垣氏から分家した稲垣太郎左衛門家は、班を進めて、家老職となり家老連綿の家柄となった。その庶流に足軽頭・稲垣源左衛門家があった。稲垣源左衛門の弟、稲垣源太左衛門が、加増を受けて与板侯牧野康成付きの家臣となり、与板在陣時代は番頭などを勤めていた。また稲垣源太左衛門の兄である稲垣源左衛門は、長岡を退去して、与板で50石をたまわりその家臣となった。本藩の長岡で足軽頭であれば、200石から300石程度であったものと推察されるが、なぜ支藩に小禄をもって再仕官したのかは子細不明である。この系は小諸藩内に子孫が残っていない。文化年間頃に成立した本藩の長岡・稲垣太郎左衛門家を著述した文献によると、先祖の家禄200石が減知された理由を不詳としているが、稲垣源左衛門が200石を分与されて、分家として分出されたたことが、約200年近くが経過して、その家系が断絶(あるいは行方不明)となっていたので忘却されていたのかもしれない。弟の稲垣源太左衛門系は、小諸で稲垣氏2代にわたって家老職を輩出した他は、用人職にあったことが多かった。江戸時代後期から幕末維新にかけて家老就任の機会はなかった。

[編集] 加藤氏

室町・戦国期に藩主牧野氏の先祖が、牛久保城主であった時代から仕えていた古参の家臣・加藤孫蔵の総領家である。天正18年(1590年)の越後長岡藩牧野家文書の大胡江御引っ越し御人数帳にその名が見える。しかし本藩の越後長岡藩では、年寄役・中老職以上に就任するには、明らかに家格が不足していた。また明暦3年(1657年)越後長岡城から与板陣屋に移転するにあたって、加藤三郎右衛門は、御引っ越し万事を取り仕切った。

小諸藩主牧野氏の家老である真木氏、稲垣氏は、牧野家中で名門ではあるが、小諸藩士となった家系は総領家ではない。これに対して、加藤氏は総領家であるため、藩主牧野氏が、与板に分家・立藩した初頭は、真木氏・稲垣氏より格上の扱いを受けていたが、小諸移封後は、ほぼ同格となった。当家は、小諸では用人から江戸家老、城代家老、国家老などに就任していたので、特定の家老ポストに就任することを慣例とはしていなかったようである。用人職にあるうちは、孫蔵を称し、家老に進むと六郎兵衛と改称していた。加藤氏は、分家を分出せずに、総領家に家禄を集中させていたので、親子で同時に役職にあった場合を除き、同姓一族が小諸藩内に存在しない特徴がある。

[編集] 一代家老及び、用人格

着座家として、河合氏 村井氏 太田氏 鳥居氏 佐々木氏 木俣氏 本間氏があった。

木俣氏は、三河国牛久保城主の牧野氏に仕えた古参の出自であるが、他は新参である。

一代家老となった家は、原則として小諸藩惣士草割高の用人格に相当する家格となった。家老職を出したことのある家柄として、着座家とも呼ばれた。
木村氏は、中禄の家柄で家老職となったことは一度もない。一部の記事により木村氏が家老であったと誤信することがあるが、疑いのない誤りである。江戸留守居役に抜擢されたことがある家柄で、これを家老を見誤ったのが原因だと推察される。

[編集] 木俣氏

藩主牧野氏が牛久保城主であった時代から仕えた古参の家臣である。越後長岡藩士・木俣渋右衛門が、与板侯牧野康成が分家にあたって康成付きの家臣となったが、与板の陣屋に随従せずに本藩の長岡に帰参した。その弟の木俣十郎右衛門の系が、与板・小諸藩士となった。与板在陣時代に、謀略により、家老・野口氏が改易となったが、その後任として、寛文9年(1669年)に木俣氏が後任の家老となったので、野口氏蹴落としに大きな役割を果たした可能性が高い。

木俣氏が小諸藩に移封後に、一時は番頭格に甘んじていたのは、懲罰を受けたためか、無嗣廃絶・末期養子などを経験したためかのいずれかではないかと推察される。また木俣氏は、与板在陣時代に病身となり、役目から遠のいたとする史料が残り、その後、かなり長くにわたって、木俣氏が要職に就任した形跡がないので、これを契機に失脚したものと思われる。しかし小諸で、再び家老職となり、木俣氏2代にわたって家老職を輩出している。また給人級の分家を1戸と、中・下級藩士の分家1戸を分出している。江戸時代後期から幕末・維新にかけて家老就任の機会はなかった。

[編集] 倉地氏

用人格の家柄であり、小諸藩の家老職になったことはない。初代越後長岡藩主・牧野忠成の父である牧野康成(同姓同名の与板藩主・牧野康成とは、祖父と孫の続柄となる)は、戦国大名の今川氏に人質として提供されていた。しかし牛久保城主・牧野成定がこれを裏切り、徳川家康に寝返った。人質であった牧野康成を救出した功労者が、倉地次郎兵衛直克である。またその総領であった倉地呰右衛門直秀は、豊臣氏を滅亡させた大坂夏の陣で戦功があった。倉地呰右衛門は、倉地弥次右衛門と通称を改めて、与板藩を立藩した牧野康成の家臣筆頭となった。

後に本藩の越後長岡藩に、帰参してしまったが、その男子に父の家禄の一部、100石の跡式相続が許された。倉地氏は親子で、家禄の分割を行ってしまったので、家禄が細分化されて減少したことで、大名である与板藩主・小諸藩主となった牧野氏の家老の家柄になることはできなかったものと推察される。また長岡帰参後の倉地弥次右衛門直秀の家禄を相続した倉地氏は、将軍家上級旗本交代寄合の牧野氏6000石の家臣となり家老連綿の家柄となった。小諸藩士・倉地氏は、一代家老職に、抜擢されたことはなかったが、藩主牧野氏の女子を養女として、もらい受けるなど、倉地弥次右衛門が長岡帰参後も、特別な扱いを受け、藩主の一門の一つとされた。
また中・下級藩士に分家2戸を分出している。なお倉地氏は、江戸時代の人事禄である江戸武鑑に沼地と誤記されている部分がある。

[編集] 村井氏

与板在陣時代は、家禄100石以下で、馬上を許された程度の家柄であった。小諸藩では、長く者頭(物頭)の家格であったが、文化年間に、用人から小諸藩校明倫館の頭取などを勤めた。その家督を相続した村井氏は、天保4年(1833年)牧野康哉が就任すると、在所の家老に抜擢された(一代家老)。具体的な事績は伝わらないが稀代の英主と謳われた藩主・康哉を国許で補佐したものと考えられる。小諸藩では家老の家柄でない者が、家老職に就任すると在職年数が短いが、村井氏は異例ともいえる9年間その職にあった。

村井氏は、木村重成の弟の家系で、はじめ藩主牧野氏の客将となったとも云うが(昭和40年代末建立・村井氏墓地の墓碑文)、これは村井氏のみで主張されていることで、到底信じ難い。
村井氏が、過去に寄騎や客人分から、牧野氏に仕官したとすればあり得るが、大名家が客将として迎えた者を、そのまま100石以下で仕官させることなど常識的に考えられない。100石級の武士は、その配下に騎馬武者が置かれることはなく、2名程度の若党・小者を伴う。戦時には10名程度の従者を引率することもあるが、武士の身分を持たない支援要員である。また牧野氏が、村井氏をその家臣とする前に、家臣団の一部を預けたとする記録や形跡は皆無である。

長岡藩・与板藩・小諸藩などの文書、及び維新史引き継ぎ史料・公文書などにも、これらの村井氏の伝説を推察できる根拠となるものはなにもない。牧野氏において客将として公認されていた史実があるのは、真木(槙)氏・野瀬氏(能勢)氏・疋田氏の3家のみである。但し野瀬氏(能勢)氏・疋田氏の系は、与板・小諸には随従しなかった。想像するに村井氏の初代が、牧野氏の寄騎・または客分(客人分)であったものを見栄のため誇張したか、あるいはその子孫が客将と僭称したのではあるまいか。木村重成の弟の系であったとするならば、今後これを立証・または歴史学上、推察できる根拠となる客観性の高い文献等の発見に期待したい。

[編集] 小諸藩主牧野氏上級家臣の盛衰

小諸藩に移封となる以前の与板藩主牧野氏において、100石を越える家禄を受けていた上級家臣、すなわち家老・番頭級は、倉地氏・牧野氏(八郎左衛門流)・野口氏・加藤氏・木俣氏・諏訪氏・真木氏・稲垣氏・平井氏・甲谷氏・小川氏・太田氏の12人であった。

ちなみに与板立藩当初には、用人・側用人は設置されていなかった。

この中で、倉地氏は、長岡に帰参し、野口氏は謀略により改易されたことは、既に述べているので、省略する。
牧野氏、加藤氏、木俣氏、真木氏、稲垣氏、太田氏は、多少の浮き沈みはあっても、伝統的な地位を守り抜くことができた。

しかし、諏訪氏は罪により失脚・改易。士分として家名再興が辛うじて許されて、中ないし下級藩士に列していたに過ぎない。

平井氏・甲谷氏は、その姓名が残っておらず改易・出奔・嗣子なく家名断絶・他藩仕官などが考えられる。

小川氏は、喧嘩により斬り殺され、嗣子なく家名断絶となった。その後に近親者をもって家名再興が許され上級家臣に列していたが、家格は落ちてしまった。

これに対して、小諸藩に移封となる以前の与板藩主牧野氏において、100石以下の家柄の家臣であった本間氏・河合氏・佐々木氏・鳥居氏・村井氏は、江戸時代中期から幕末にかけて、班を進めて、一代家老職まで上り詰めたのである。

牧野庄兵衛(=隼之進)家は、小諸藩に移封後の江戸時代後期になってから家老の家柄となっている。
しかし、藩主の庶子から目代(=代理人)となった牧野康那が名跡を継承しているため別格といえよう。強いて分類すれば、与板在陣時代の家禄は100石であったので、100石以下の家臣であったことになる。

[編集] 参考文献

  • 『牧野家臣団』加藤誠一著
  • 『小諸藩』加藤誠一著

[編集] 関連項目

THIS WEB:

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - be - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - closed_zh_tw - co - cr - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - haw - he - hi - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - ms - mt - mus - my - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - ru_sib - rw - sa - sc - scn - sco - sd - se - searchcom - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sq - sr - ss - st - su - sv - sw - ta - te - test - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tokipona - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu

Static Wikipedia 2008 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2007:

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - be - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - closed_zh_tw - co - cr - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - haw - he - hi - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - ms - mt - mus - my - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - ru_sib - rw - sa - sc - scn - sco - sd - se - searchcom - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sq - sr - ss - st - su - sv - sw - ta - te - test - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tokipona - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu

Static Wikipedia 2006:

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - be - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - closed_zh_tw - co - cr - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - haw - he - hi - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - ms - mt - mus - my - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - ru_sib - rw - sa - sc - scn - sco - sd - se - searchcom - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sq - sr - ss - st - su - sv - sw - ta - te - test - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tokipona - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu