小林光二
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林光二(こばやし こうじ、1957年8月27日-)は。東京都葛飾区出身の元プロボクサー。左ボクサータイプ。角海老宝石ボクシングジム所属。WBC世界フライ級チャンピオン。二松学舎大学附属高等学校卒。
173cmというフライ級では破格の長身から繰り出す左ストレートは威力十分で、全日本新人王戦では後のジュニア・バンタム級世界王者、渡辺二郎に1回KO負けを喫するもののその後連勝を重ね、世界初挑戦で豪快に2回KO勝ちし王座獲得に成功した。しかし初防衛戦では2回KO負けで王座陥落し、当時のフライ級王座に関するジンクスである『WBCのフライ級王者は初防衛戦で王座陥落』を破ることはできなかった。
ちなみに、プロスポーツ選手としては異例の「子供の頃は体育は大の苦手」。ボクシングを始めるまで腕相撲で女の子に負ける程の非力な青年だった。現在は、地元葛飾区の職員
[編集] 戦績
- 1978年12月12日 プロデビュー。
- 1979年12月23日 後の日本フェザー級王者小林裕幸に2回KOで、東日本フライ級新人王獲得
- 1980年2月 全日本フライ級新人王決定戦に出場。後のWBA・WBC世界ジュニアバンタム級王者渡辺二郎と対戦するが、1回KO負けを喫する。
- 1984年1月18日 世界初挑戦。WBC世界フライ級王者フランク・セデニョ(フィリピン)に挑む。4度のダウンを奪い、堂々の2回KO勝ち。世界王座奪取に成功する。
- 1984年4月9日 初防衛戦。ガブリエル・ベルナル(メキシコ)と対戦するも、2回に挑戦者の強打に捕まり、KO負け。王座から陥落した。当時、WBCフライ級は前王者セデニョまで5人が続けて初防衛戦で王座から陥落しており、そのジンクスを覆すことが出来なかった。
- 1985年3月5日 ノンタイトル10回戦。ジュニアバンタム級に階級を上げ、同級世界王者・渡辺二郎への挑戦権を賭け、日本ジュニアバンタム級チャンピオン勝間和雄と対戦したが、圧倒的有利の予想に反し12回TKO負け。
- 1985年8月27日 ノンタイトル10回戦。内田好之に7回KO負けし現役引退。
最終戦績24勝(15KO)4敗3分。
[編集] 関連項目
前王者 フランク・セデニョ |
第22代WBC世界フライ級王者 1984年1月18日 - 1984年4月9日 |
次王者 ガブリエル・ベルナル |