専科 (宝塚歌劇)
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専科は、宝塚歌劇団の一組織。
[編集] 概要
組と並んで表記されることが多いが、組ではなく、特定の組に所属しない一芸に秀でた生徒の集団である。元々はベテランの集団であったが、2001年6月の新専科制度導入により、トップスター候補の若い生徒も所属するようになった。
英語表記にすると SUPERIOR members であり、troupe と訳される組(ex.花組=FLOWER troupe)とはやはり異なっている。元々は舞踊専科、演劇専科、声楽専科、ダンス専科などに分かれていたが、近年はそのような振り分けはされていない。
専科生は各組の公演には“特別出演”という形で出演する。春日野八千代、轟悠は主演男役として特別出演するが、他の生徒は、主に老け役をこなし、脇でしっかり芝居を固めるなど、渋いながらも宝塚の公演にはなくてはならない存在である。
2006年10月現在、専科に所属する生徒は、春日野八千代、松本悠里、轟悠、千雅てる子、鈴鹿照、立ともみ、高ひづる、矢代鴻、萬あきら、藤京子、京三紗、汝鳥伶、星原美沙緒、邦なつき、一樹千尋、未沙のえる、光あけみ、磯野千尋、箙かおる、一原けい、五峰亜季の21人。
[編集] 新専科
新専科は、2001年6月1日付けで導入された新しい専科制度。当時の理事長・植田紳爾の肝入りで導入された。
従来までの専科とは違い、新専科生はまだ若い将来のトップスター候補生である。
表向きには、各組への特別出演や外部出演などを経験して芸を磨き、そこから各組のトップスターを組の枠を超えフレキシブルに誕生させることが狙いであるとされていた。
発足当初に新専科に配属されたのは、当時の各組の準トップスター(2番手)と3番手の全員、すなわち
の10人。 後に、成瀬こうきも加わっている。
このうち、トップスターになったのは、匠、紫吹、香寿、絵麻緒、彩輝、湖月の6人。
伊織、汐風、成瀬、樹里、初風の5人はトップになることなく退団した。
そのため、表向きの発足理由こそ上記のものであったが、しかし内実は、当時飽和状態であったトップスター候補生の整理が目的のひとつであったと推測されている。
各組の看板スターが3番手→2番手→トップと順調にステップアップしていった従来のスターシステムを、根本から揺るがしたこの新専科制度は、ファンのみならずタカラジェンヌの側にも、大きな衝撃を与えた。
2006年11月に卒業した湖月を最後に、新専科に配属された生徒は全員退団した事になり、新専科は事実上消滅したものと考えられる。
上記の男役たちとは状況が異なるが、月組娘役トップスターだった檀れいが、相手役だった真琴つばさの退団にともなって一旦専科に移動し、それから星組トップスターに返り咲いたことがあり、檀も新専科の一員だったと見る意見もあるが、公式に檀が新専科だったと定義されたことはない。
また、2006年2月13日付けで遠野あすかが専科に移動となったが、同年11月13日付で星組主演娘役に就任した。
また、轟悠も専科移動後に各組へ、かつての春日野八千代と同様にトップスターと同等の扱いで特別出演しており、劇団理事であることもあり明らかに格上の扱いを受けており、新専科ではないとみていいだろう。
[編集] 外部リンク
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