宮本一三
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宮本 一三(みやもと いちぞう、1931年9月7日 - )は、兵庫県三原郡西淡町(現在の南あわじ市)出身の日本の政治家。国民新党元衆議院議員。
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[編集] プロフィール
[編集] 学生・官僚
兵庫県立洲本高等学校卒業、一橋大学経済学部卒業。ハーバード大学大学院で経済学博士号(Ph.D.)を取得。
大学卒業後大蔵省に入省。大蔵省国際金融局総務課長、大蔵大臣官房審議官、名古屋国税局長等を歴任。
[編集] 政界入りへ
1983年の第37回衆議院議員総選挙で兵庫2区から初出馬したものの、当時の自由民主党の公認候補は原健三郎、永田亮一(どちらも淡路島出身)の2人がいたため公認が得られず無所属で出馬し落選する。
以降、1986年の第38回衆議院議員総選挙、1990年の第39回衆議院議員総選挙でも自由民主党の公認が得られず無所属で出馬したが落選した。1990年の総選挙では前回の総選挙で永田亮一が落選しそのまま引退したため公認される可能性があったが、地域のバランスから尼崎市出身の鴻池祥肇が2人目の自由民主党の公認候補となった。
1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙では、新生党公認で兵庫2区から出馬し当時の新党ブームに乗り、4度目の挑戦で初当選を果たした。その後、小選挙区制で行われた1996年の第41回衆議院議員総選挙では新進党公認で兵庫9区から出馬し原健三郎らを破って再選(原健三郎は比例区で復活当選)。その後自由民主党に移籍し、2000年の第42回衆議院議員総選挙でも原健三郎の親戚にあたる無所属の新人西村康稔らを破って当選し3期連続当選を果たす。
2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙では、西村康稔に敗れ落選した。2004年7月11日に行われた第20回参議院議員通常選挙に無所属として出馬したが落選し、2005年1月に党本部から1年間の党員資格停止処分を受けた。
2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙には当初国民新党から出馬の予定も地域の関係から新党日本から立候補したが落選。その後自由民主党から除籍された。
2006年5月に新党日本を離党し、国民新党に入党した。