宗貞盛
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宗 貞盛(そう さだもり、1385年(元中2年/至徳2年)?-1452年7月9日(享徳元年6月22日))は、室町時代前・中期の武将。宗氏の第9代当主。第8代当主・宗貞茂の子。
生年には異説が多いが、有力説は1385年である。幼名は都都熊丸。通称は宗彦六。または宗右馬。1418年、父の死により、後を継いで当主となる。翌年、李氏朝鮮の軍勢に対馬を攻められたが、貞盛はこのとき、朝鮮軍の総司令官に対して「元寇のときのようになりますよ」と嘘をついて撤退させたという。いわゆる応永の外寇であるが、この後、貞盛は李氏朝鮮との関係修復・強化に努めた。1441年には日本人が朝鮮近海で漁ができる権利を獲得(孤革島釣禁約)した。その後も朝鮮と嘉吉条約を結んで、その利益を独占した。ところが同じく朝鮮との交易に目をつけていた大内氏と敵対し、宗氏の主筋であった少弐氏と共に大内軍と戦ったが敗れて多くの領土を奪われた。また、大内氏によって所領を追われた少弐嘉頼を庇護している。
1452年6月22日、68歳で死去し、後を宗成職が継いだ。