安本亀八
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安本亀八(やすもと かめはち、文政8年(1825年)7月 - 明治33年(1900年)12月)は、江戸時代末から明治にかけて活躍した日本の人形師。初代の安本亀八である。
[編集] 略歴
熊本迎宝町、現在の熊本県出身。仏師の家系に生まれ、その道を志すが明治維新以後は排仏毀釈運動の影響で仏師としての仕事は無く、人形細工師として身をたてる。その後、活人形師として兄と共に上方へ出て初興行を行う。最大の出し物は、生身の人間の姿をそのままに造った、「活人形」(生人形)であった。人形の造形は精緻で、まるで血が通い、生きているかのようなリアリティは多くの観客を呼び集め評判になった。江戸で興行した『忠臣蔵』などの演目は庶民に大人気を博した。
明治8年(1875年)には上海で興行を行い、海外へ進出。国内では、明治10年(1877年)の内国勧業博覧会に等身大の美貌の活人形を出展、世間を驚かせ人気を集める。当時の日本では活人形師として松本喜三郎とはその技量と人気で双璧を争ったという。
- 明治13年(1880年)内務省博物局開設の「観古美術会」創設に参加。審査員をつとめる。
- 明治31年(1898年)初代 亀八改め亀翁に改名。長男の亀二郎が二世 安本亀八を襲名。(長男は翌年1899年に鹿児島で客死、三男が三世を急遽襲名)
- 明治33年(1900年)、初代の安本亀八は75歳で死去。文化人としての評価も高かった。