日本人形
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日本人形(にほんにんぎょう)とは、和服を着、日本髪を結った、江戸期の風俗を写した人形の総称である。 一般に日本人形という場合、「市松人形」や「衣裳人形」をさすことが多い。現在では美術価値の高い、工芸品として扱われる。
1927年にアメリカ合衆国に市松人形が人形大使として贈られた際に、「日本人形」の説明が付けられた。
[編集] 種類
- 木目込人形(きめこみにんぎょう) - 桐塑で作られた人形に、様々な形に切った布を木目込み、衣装を着ているように仕立てたもの。顔や手先は胡粉を塗り、顔料で細やかに描かれる。後年には木目込人形の技法で造った人形の上から衣裳人形のように着付ける方法も派生した。
- 衣裳人形(いしょうにんぎょう) - 衣裳着人形(いしょうぎにんぎょう)とも。素の状態の立ち姿人形に、別に仕立てた衣装を着付けた人形。胴体は木材と木藁で作られており、衣装を着つける際にポーズをとらせることが出来る。衣装は糊で貼付け、着付ける。着物を着付けた後の胴体に、後から美しく精巧に作られた頭や手・足先を差し込んで完成させる。完成後は飾り台に固定し、寸法に合わせて製作されたガラスケースに収める。
衣裳人形は、江戸時代に武家の子女が嫁ぐ際に、婚礼の家財道具としても扱われる習わしがあり、人形にその災厄を身代りさせるという大切な役割もあった。衣裳人形は、様々な衣裳で製作され、その姿から身分や職業がわけられる。例をあげれば「舞妓」「藤娘」「町娘」「武家娘」「姫君」などがある。厄よけの身代りでもあることから、なるべく身分が高く姿の美しい人形が、婚礼道具として勧められる。このような人形を婚礼道具のひとつとした時代は近年まで続き、1980年代半ばまで多くみられた。
日本人形のなかでも、節句人形は伝統的にその手や足、頭(顔)、髪結い、衣裳の仕立てなどそれぞれを専門に製作を受け持つ人形工芸師が分業している。製作において人形は順番に人形工芸師の手によって組み立てられる。そして、最終的に衣裳の着物を着付ける人形着付け師のもとで、完成まで仕上げられる。一般によくいわれる、有職人形はこのような製作手順がとられている。主に京都、東京で製作される。
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- おやま人形(-にんぎょう) - 女性型の衣装着人形の総称。藤娘や汐汲などの日本舞踊の衣装を着ていることが多い。人形師の小山次郎三郎にちなんでおやま人形と呼ばれる。製法は衣裳人形に準ずる。
- 風俗人形(ふうぞくにんぎょう)
- やまと人形(-にんぎょう) - 市松人形、東人形、京人形などの総称。各地でめいめいに呼ばれていたため、1933年(昭和8年)吉徳十世山田徳兵衛が中心となり、総じて「やまと人形」の呼称が考えだされた。頭と手足は桐塑、胴はおがくずを詰め込んだ布で出来た玩具の着せ替え人形で、人形のみでの状態で売られ、着物や衣装は購入者が作成する。女児の遊び道具のほか、和裁の裁縫の練習台としても使用された。
- 御所人形(ごしょにんぎょう) - おもに赤子、帝をかたどった土製、桐塑製の人形。
- 博多人形(はかたにんぎょう) - 土で作られ、焼成された人形。
- 奈良人形(ならにんぎょう) - 木製の素朴な郷土人形。一刀彫の一種とされることが多い。
- こけし人形 - 郷土人形。
[編集] 関連項目
- 人形大使
- 活人形(生き人形)