天皇記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天皇記(てんのうき、すめらみことのふみ)は、620年(推古天皇28年)に聖徳太子と蘇我馬子が編纂した歴史書である。
『日本書紀』推古28年の是歳条に、
- 皇太子・嶋大臣共に議(はか)りて、天皇記(すめらみことのふみ)及び国記(くにつふみ)、巨連伴造国造百八十部併せて公民等の本記を録す。
とある。
帝皇日継・帝紀とほぼ同様の内容で、天皇家の系譜を記したものだと考えられている。また、未完であった可能性が高い。国記とともに編纂された。
645年(皇極5年)に起きた乙巳の変の際に、蘇我馬子の子である蘇我蝦夷の家が燃やされ、そのとき国記とともに焼かれた。国記のみが焼ける前に取り出されて残ったが、国記も現存していない。
『日本書紀』皇極4年6月条に
- 蘇我蝦夷等誅されむとして悉に天皇記・国記・珍宝を焼く、船史恵尺(ふねのふびとえさか)、即ち疾く、焼かるる国記を取りて、中大兄皇子に奉献る
とある。
2005年11月13日、奈良県で日本書紀の記述通り、蘇我入鹿の邸宅跡が発見され、今後の発掘しだいでは『天皇記』・『国記』の一部が出土する可能性があるとされている。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 日本の歴史書