大西鐡之祐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)、奈良県奈良市出身は、元早稲田大学教授。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。卒業後東芝に就職するも兵役に就き、終戦を迎える。戦後、早大職員から教授へ。 日本における最大のラグビーの研究者にして、屈指の実績を挙げ日本代表の“夜明け”を実現させたカリスマ的指導者である。
目次 |
[編集] 経歴
自ら唱え続けた「自由と規律」の元、早稲田大学ラグビー部の中心選手・監督として活躍。1962年には関東大学対抗戦Bリーグで低迷していた母校早稲田の監督に2度目の就任、夏合宿で選手らと開発した「カンペイ」のサインプレーを駆使して1シーズンでAリーグに返り咲き、Aリーグ覇者の明治を撃破し、たった1シーズンで母校をどん底から復活させた。 1966年から1971年まで日本代表監督を務めた。早大監督時代から海外列強の理論を導入、さらに寄せ集め的な日本代表チームの編成にただ一人異議を唱え、現在まで続く日本代表の強化・セレクションの基礎を作り上げた。日本代表監督時代には学閥やポジションに偏らない大胆なチーム編成を行い、オールブラックスジュニア戦での勝利(1968年)、イングランドXVとの大接戦(1971年)を実現した。ラグビー経験の少ない井沢義明をいきなり代表に抜擢、160cm台の小兵ながらタックルが良くラインアウトのスローイングに長けた石田元成をフランカーとして起用、さらにナンバー・エイトだった原進をプロップとして抜擢、徹底的に鍛え上げて世界に通用するプロップに育て上げる・・・など、オールスター選抜・早慶明同に人選が偏重する傾向の強かった日本代表を一代で革新し、今日の基礎を築いた業績は余りに大きい。
1982年、早大監督として全早大を率いてフランス・イギリスへ遠征。ケンブリッジ大学と対戦し、13対12と1点差を逃げ切って日本の単独チームとしてケンブリッジ大学から初勝利をあげた。前年の1981年には3度目の早稲田大監督として、戦前に圧倒的不利と言われた早明戦を快勝、低迷していたチームを再び復活させた。このときの早明戦は、現在まで続く国立霞ヶ丘競技場の最多入場者を記録した。 その後、日本オリンピック委員会委員などの要職を歴任。早大の付属校である早稲田大学高等学院ラグビー部の指導にも係わり、優勝候補でなかった同校を全国大会出場に導いた。
こうした数々の驚くべき実績はたびたび“魔術”と評されたが、本人はそれを激しく嫌っていた。
1995年、胸部大動脈瘤により死去。享年79。
政治家の森茂喜はラグビー部時代の先輩。
[編集] 戦略
大西を語るときに絶対に欠かせないのが、「接近・展開・連続」の理論である。南アフリカの指導者、ダニー・クレイブンの著書に影響を受けた大西が年月をかけて編み出したこの理論は、小柄ながら持久力と瞬発力、器用さに優れた日本人の特性にフィットした理論として長く日本代表の戦術に影響を及ぼし、海外と体格差・体力差の埋まらない日本代表にとって決して無視できない理論として、未だに存在感を持っている。
また日本代表監督時にはラインアウトでのショートスローイングやラインアウトの外から飛び込んでくるCTBへのロングスローなど、独創的な戦術を編み出した。早大監督時代に菅平の合宿で編み出した「カンペイ」も海外で大いに通用し、今や世界でも使われるポピュラーなサインプレーとなった。前述の井沢・原だけでなく、歴代最高のスローワーと言える石田、抜群のジャンプ力を誇った堀越慈、名CTBと謳われた尾崎真義・横井章、世界に通用した坂田良弘・伊藤忠幸の両WTBなど、史上屈指のタレントを擁していたこともあるが、これら個性的な選手たちを巧みに起用・操縦し、ひ弱な日本代表を世界の舞台に立たせた大西の手腕なくしてこの時期の日本代表の躍進はない。その後の指導陣の成績を見るまでもなく、歴代の日本代表監督№1と言っていいだろう。
ラグビー界で日本屈指の理論家といえる大西だったが、早慶戦、早明戦など大試合の前には水杯をかわした後杯を割ったり、勝利した試合のみ部歌「荒ぶる」をグラウンドで歌わせなかったりと、「前近代的な」(大西)方法で精神を高めたりした。 1981年早明戦の戦前、選手たちに「マスコミの言うこと(明治圧倒的有利)を信じるか、ワシの言うことを信じるか」と選手たちに迫り意思統一を果たし、圧倒的不利の戦前評を覆し早明戦5年ぶりの勝利を挙げた話は有名。
早稲田ラグビーを復興した清宮克幸が行ったことは、かつて大西が監督として実践していたことにつながる。
大西門下である藤島大は「100の理論を重ねておいて試合の寸前に1の否定をする」と述べている。
[編集] 主な著作・論文
- 「闘争の倫理 スポ-ツの本源を問う」二玄社(1987)
- 「モダンラグビー・フットボール」早稲田大学出版部(1954)
- 「ラグビー」不昧堂出版(1972)
- 「ラグビー」旺文社(1960)
- 「ラグビー 荒ぶる魂」岩波書店(1988)
- 「早稲田ラグビー 英仏遠征記1982」
[編集] 主な翻訳書
- ブライアン・ジョ-ンズほか「ウェ-ルズの実戦的ラグビ-」ベ-スボ-ル・マガジン社(1976)
- D.H.クレイブン「選手とコーチのための現代ラグビーの技術と戦法」ベースボール・マガジン社(1979)
- ドン・ラザフォ-ド「ドン・ラザフォ-ドのラグビ-」不昧堂出版(1974)
- I.ファン・ヒールデン「ラグビー戦術と攻撃法」ベースボール・マガジン社(1975)
- エリク・ダニングほか「ラグビーとイギリス人 ラグビーフットボール発達の社会学的研究」 ベースボール・マガジン社(1983)
[編集] 参考文献
- 藤島大「知と熱―日本ラグビーの変革者・大西鐵之祐」文春文庫(2003)