大永の五月崩れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大永の五月崩れ(たいえいのさつきくずれ)は、大永4年(1524年)5月に起こった尼子経久の伯耆進攻をいう。最近では大永4年5月以前より尼子氏の伯耆への進出は始まっているとして、大永の五月崩れの存在を疑う研究家もいる。
[編集] 概要
山名方の米子城、淀江城、天万城、尾高城、不動ガ嶽城、八橋城は一朝にして攻め落とされ、更に倉吉、岩倉城、堤城、羽衣石城も順次落城し、伯耆一円が尼子領となる。
この合戦により国中で戦死する者数知れず、死者が町に満ち溢れ、村々の放火の煙が空を覆い、神社仏閣の殆どが兵火に焼かれたという。
[編集] 資料
- 『伯耆民談記』
カテゴリ: 日本の戦国時代の事件 | 鳥取県の歴史