大宛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大宛(だいえん)とは、紀元前2世紀頃より中央アジアのフェルガナに存在したアーリア系民族の国家、あるいはフェルガナ地方そのものに対する漢による呼称。
前漢の武帝の時代、西域に入った張騫によって中国にはじめて報告された。
当時、大宛は貴山城を治とする王によって統治され、支配下のオアシスは70余、戸数6万、人口30万を擁し、馬やブドウを特産としていたと伝えられた。武帝が大宛の名馬汗血馬を入手するため李広利の遠征軍を派遣し、大宛はこれに敗れたため、一旦、漢の影響下に入った。その後は勢力振るわず、ソグドのオアシス連合に吸収されたと考えられている。
地方としての大宛と中国との交渉は継続して行われた。大宛の名は西晋までは見られが、以後はフェルガナの音訳である「破洛那」が用いられるようになった。