大国実頼
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大国 実頼(おおくに さねより)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家臣。直江兼続の弟に当たる。
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時代 | 戦国時代・安土桃山時代・江戸時代前期 | |||
生誕 | 永禄5年(1562年) | |||
死没 | 元和8年(1622年) | |||
主君 | 上杉景勝 | |||
氏族 | 樋口氏→大国氏 | |||
父母 | 父:樋口兼豊 | |||
兄弟 | 兄:直江兼続 |
永禄5年(1562年)、樋口兼豊の次男として生まれる。天正10年(1582年)、小国重頼の養子となり、家督を相続する。このとき、上杉景勝の命により、姓を大国と改めた。
天正14年(1586年)、の新発田重家討伐に参陣する。豊臣秀吉の聚楽第新築のときには、上杉家の使者を勤めた。慶長3年(1598年)、上杉景勝の会津移封に付き従った。そして慶長5年(1600年)に景勝が徳川家康と対立して会津に神指城を築城しようとしたとき、兄の兼続と共に普請奉行を務めて功を挙げている。
元和8年(1622年)に死去。享年61。