大伴榎本大国
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大伴榎本大国(おおとものえのもとのおおくに、生没年不詳)は、日本の飛鳥時代の人物である。旧仮名遣いでの読みは「おほとものえのもとのおほくに」。姓は連。672年の壬申の乱のとき大海人皇子(天武天皇)に従った。
榎本氏は大伴氏の同族である。壬申の乱が勃発したとき、吉野宮にいた大海人皇子は兵力を持たず、使者を出して美濃国で兵を集めさせつつそちらに向かった。はじめ、6月24日に出発したとき、従う男子は20数人にすぎず、莬田(大和国宇陀郡)で大伴馬来田や土師馬手の合流を得ても、30人前後だったと推測される。同日中に甘羅村を過ぎたところで、一行は大伴榎本大国に率いられた猟師20数人と出会った。大国らはすぐに一行に加わった。猟師は武器を携え使い慣れているので、このときの一行にとって心強い味方だったと想像できる。結局この脱出行で戦闘はおきず、その後の大国の活動について記録はない。