大中臣氏
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大中臣氏(おおなかとみし)は日本古代の中央政権において祭祀をつかさどった貴族。
中臣鎌足が藤原姓を賜った後、その子藤原不比等が幼かったため、鎌足の甥で婿養子とも言われる中臣意美麻呂が暫定的に藤原氏を継いだ。後に、不比等の成長を待ち、正式に文武天皇の命令によって改めて鎌足の嫡男として不比等とその子孫のみに藤原姓を許し、他の者は中臣氏に復するように命じられて意美麻呂も中臣姓に戻る。意美麻呂は不比等の後押しで中納言に昇進した。以後は中臣氏でも意美麻呂の子孫の家系を特に大中臣氏と称するようになる。
大中臣氏の中で最も力を振るったのは意美麻呂の息子である大中臣清麻呂(正二位・右大臣)(702年~788年)の系統で、神祇伯や伊勢祭主を世襲した。平安時代の大中臣能宣とその子大中臣輔親そその孫伊勢大輔は歌人としても事績を残している。
平安時代中期以降白川家が神祇伯を世襲するようになると、伊勢祭主及び神祇大副を世襲するようになる。
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