多々良純
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多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006年9月30日)は、日本の俳優。本名:田足井 重二(たたらい しげじ)。
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[編集] 来歴・人物
宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)出身。幼少時代は家業の都合で各地を転々と移る。1935年、東京府立第九中学校(現在の東京都立北園高等学校)を卒業したのち、東京YMCA国際ホテル専門学校に入学するが、5ヶ月で中退、帝国ホテル食堂部に就職する。その後、新築地劇団研究生募集の広告を見て、子供の時からの夢だった役者の道を志す。
1936年10月に入所、同期に殿山泰司、千秋実がいた。同年、「女人哀詞」で初舞台を踏み、映画の方も、1940年に「彦六なぐらる」でデビューするも、その束の間、戦争に応召される。1943年に除隊、役者生活に戻り、丸山定夫を隊長とする移動演劇隊桜隊に参加、慰問公演で全国を回る。1945年6月に再召集、演劇隊を離れることになる。しかし、その2ヵ月後の8月6日、桜隊は巡業先の広島市にて原子爆弾にあい、丸山を初め、園井恵子、薄田研二の長男である高山象三ら演劇隊員9名が犠牲となった。
運良く助かった多々良はその1ヶ月後に復員。丸山たちの訃報を聞き、愕然するも、気を取り直し、1947年、宇野重吉らが結成した劇団民藝に参加。その後、民藝を脱退、フリーとして映画の方に専念する。さまざまな作品に脇役として出演し、善人役から悪役まで難なくこなし、名バイプレイヤーとして活躍した。特に「鶴八鶴次郎」では1956年に第7回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞している。晩年も舞台や映画の他に、テレビにもさかんに出演し、その存在感をアピールした。
園芸、料理、釣り、催眠体操と実に多趣味で、特に催眠体操については1970年に「ストレスに勝つ・多々良純の催眠体操」、1972年には「相手を説得する催眠法」という著作があるほどの熱の入れようだった。
2006年9月30日午後零時40分 肺機能不全のため東京都内の病院にて死去。享年89。
[編集] 主な出演作品
[編集] 映画
[編集] テレビ
- 東京警備指令 ザ・ガードマン 第8話「第9レースを狙え」厩務員役 (1965年、TBS・大映テレビ室)
- 白い巨塔 岩田重吉役(1967年、NET)
- フジ三太郎(1968年)
- 帰ってきたウルトラマン 第46話「この一撃に怒りをこめて」紙芝居のおじさん役(1971年、TBS・円谷プロ)
- 人造人間キカイダー 第13話「ピンクタイガーの遊園地襲撃」ロボット・甚兵衛役(1972年、NET・東映)
- わからん島(1972年、「おかあさんといっしょ」の1コーナー)
- 非情のライセンス 吉田刑事役(1973年~1975年)
- 正義のシンボル コンドールマン 三矢源太郎役(1975年)
- 西遊記 第14話「地震妖怪!なまず魔王の謎」善智上人役(1978年)
- 特捜最前線 第146話「殉職I・津上刑事よ永遠に!」・第147話「殉職II・帰らざる笑顔!」(1980年)
- 探偵物語 第24話「ダイヤモンド・パニック」関東桜会 組長・真崎甚三郎役(1980年)
- 宇宙刑事ギャバン 藤豪介役(1982年~1983年)
- 京都サスペンス「京都の祭りに人が死ぬ・鞍馬の火祭」(1988年10月、関西テレビ放送・東映)
- 特警ウインスペクター 第46話「一日一悪の少年」太田黒勝造役 (1990年、テレビ朝日・東映)
- 恐竜戦隊ジュウレンジャー 不思議仙人バーザ役(1992年~1993年)
- サラリーマン金太郎4 犬丸重信役(2004年、TBS)
- 必殺シリーズ/助け人走る 第27話、暗闇仕留人 第19話、必殺必中仕事屋稼業 第5話、他
- 水戸黄門(悪徳商人役などで出演多数)
- キンカン素人民謡名人戦
[編集] 音楽作品
[編集] シングルレコード
- 道 / 当世アレアレ節(1970年) -テイチク