外務省ユダヤ難民取り扱い規則
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外務省ユダヤ難民取り扱い規則は1938年に外務省、内務省、陸軍省、海軍省の申し合わせで決められたユダヤ難民に対する日本の政策。
当時、ドイツの反ユダヤ主義政策によりヨーロッパから脱出するユダヤ難民が多数発生していた。ユダヤ難民はアメリカや現在のイスラエルに脱出したが、アメリカへ向かうコースは大西洋を渡るコースと、シベリア鉄道やインド洋航路で日本を経由して太平洋を越えるコースがあった。
「ユダヤ難民取扱規則」はそれまであったビザ発給資格の条件を大幅に厳しくすることで、ユダヤ難民の日本を経由した脱出を妨げる狙いがあった。
「外務省ユダヤ難民取扱規則」
当省、内務及び陸海軍各省庁など協議の結果我が盟邦の排斥により外国に避難せんとする者を我国に於いて許容することは大局上面白からざるのみならず現在事変下の我国の実情は外国避難民を収容するの余地なきに以て此種避難民(外部に対しては単に「避難民」の名義とすること、実際は猶太(ユダヤ)人避難民を意味す)の本邦内地並びに植民地への入国は好ましからず(但し通過はこの限りに在らず)とのこちに意見の一致を見たるに付御含みの上是等避難民に対しては我が国の現行外国入国令第一条に列記せる範囲内の理由の下に本邦渡来阻止方しかるべく御措置ありたし、従て
(一)此種無国籍避難民に対しては今後全て渡航証明証を発行せざること、但し単に我国を通過するに止まる者に対しては行先国の入国手続を了し居り且二百五十円の呈示金を到着の際所持する者に限り通過渡航証明書の発給差支えなし
(二)我国と査証相互廃止取極ある国の国籍を有する此種避難民に対しては今後本邦入国に関し査証発行等願出等ありたる際は査証を与えざるは勿論也等証明をも発給せず本邦への渡航を断念せしむる様説示方御取計ありたし
(三)右以外国籍を有する此種無国籍避難民に対して今後全て査証を与えざる様しかるべく御取計ありたし
尚本内訓は猶太(ユダヤ)人に対し特別の手段を講じたるものにあらず現行外国人入国令の範囲内に於いてそちするものにして外部に対して何等之の発表し居らずに付き左様御含みあいなりたし。
1938年 10月7日付け 訓令
[編集] 訓令発令後の動き
この訓令発令された前後には、欧州の日本公館にビザを求めるユダヤ人が連日のように押しかけてきており、本国の訓令はその現状を無視したものであった。対処不能に陥った在外公館より当訓令について見直しを求める電報が数多く送られ、特にウィーン総領事館の山路総領事は外務省に対し1938年10月17日「一般的猶太人排斥政策ヲ執ルコトハ差當リ不得策ト思考スル」と打電している。 在外公館からの悲鳴のような電報に日本政府が動いたのは12月になってからで、12月1日に陸海軍内務省との間に事態打開のための協議を申し入れ、12月6日に方針を変更した「猶太人對策要項」を決定することになる。しかし「猶太人對策要項」は閣議による方針の指示にとどまり、外務省のビザ取り扱い規則は変更されなかった。
[編集] 関連項目
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