土方雄次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土方 雄次(ひじかた かつつぐ)は、江戸時代の大名。陸奥国窪田藩の第2代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 慶長16年(1611年) | |||
死没 | 延宝8年1月28日(1680年2月28日) | |||
別名 | 彦三郎(幼名) | |||
戒名 | 清光院殿江月浄澄 | |||
官位 | 従五位下、河内守 | |||
藩 | 陸奥窪田藩主 | |||
氏族 | 土方氏 | |||
父母 | 父:土方雄重、母:内藤政長の娘 | |||
妻 | 正室:内藤忠興の娘 | |||
子 | 土方雄信、土方雄隆、土方雄賀、土方貞辰 |
慶長16年(1611年)、初代藩主・雄重の長男として生まれる。元和7年(1621年)に徳川秀忠と拝謁し、寛永5年(1628年)の父の死去により後を継いだ。藩政においては新田開発や酒井用水・五箇村灌漑用水の造営、寺社造営や修築に尽力し、藩政の基礎を築き上げた名君である。延宝7年(1679年)11月27日、病気を理由に次男の雄隆に家督を譲って隠居し、翌年1月28日に死去した。享年70。墓所は大阪府貝塚市の青松寺。
- 土方氏(窪田藩2代)藩主
- 1628~1679
-
- 先代:
- 土方雄重
- 次代:
- 土方雄隆