土佐神社
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土佐神社とは高知県高知市にある神社である。別名:しなね様ともいう。旧社格は「国幣中社」現在、神社本庁所轄の別表神社である。
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[編集] 由緒・沿革
土佐神社の創建は定かではないが、古記録によれば境内の東北方面にある礫石と呼ばれる自然石を磐座の祠宇に見立てて祭祀したのではないかといわれている。延喜式の制度が確立された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と改称され、とくに皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代・天慶三年には、神階を正一位に進ませられた。鎌倉時代ごろから、神仏習合の時代となり、神社・神宮寺・善楽寺などで一宮を形成し、土佐高賀茂大明神と称された。元亀元年(1570年)には、旧領主・長宗我部元親が本殿、弊殿、拝殿を再興し、安土桃山時代の慶長六年(1601年)には、改易後海路土佐国へ入城した山内一豊をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、次々と社殿を造営。摂社・末社をはじめ、鳥居、楼門などを増築し土佐国一宮として最大の祈願所にした。明治元年、神仏分離令により鎌倉時代からの神仏習合時代が終り、明治四年には現在の土佐神社の社号に改称し社格を国弊中社.に列した。昭和二十一年(1946年)、官国弊社の制度が廃止され、神社本庁所轄の別表神社となり現在にいたっている。
[編集] 御祭神
『日本書紀』の天武天皇四年(675年)三月二日の条に、「土左の大神、神刀一口を以て、天皇に進む」とあり、また朱鳥元年(686年)の八月十三日の条に「泰忌寸石勝を使わして、幣を土左大神に奉る」とあり、祭神は土左大神となっているが『土佐国風土記』によれば「土左の高賀茂の大社あり、其の神の名を一言主尊と為す。其れのみは詳かならず」云々とあり、時代の変遷なども加味して祭神の変化も見られ、現在では祭神は一言主神と味鋤高彦根神としている。古来文献に依拠すれば、大和の賀茂氏かまたは、その同族が土佐の国造に任ぜられたことにより、当地に祀られたものと伝えられている。
[編集] 年中行事
- 一月一日、歳旦祭
- 一月三日、射初祭
- 三月十一日、十二日、十三日、齋籠祭
- 六月三〇日、一二月三一日、大祓
- 春期例大祭・秋期例大祭。