国士舘中学校・高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国士舘中学校・高等学校(こくしかんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区に所在する男女共学の私立中学及び高校。
高校では普通科(全日制課程、定時制課程、通信制課程)を設置している。進学は、系列の国士舘大学だけでなく他大学への進学も増加傾向である。
主に体育教育に長けている学校であり、都や全国の大会でも優秀な成績を多く収めている。
目次 |
[編集] 概要
- 運営法人 学校法人国士舘
- 所在地 東京都世田谷区若林4-32-1
[編集] 舘歌
作詞:柴田徳次郎 作曲:東儀鉄笛
一、
霧わけ昇る陽を仰ぎ
梢に高き月を浴び
皇国に殉す大丈夫の
ここ武蔵野の国士舘
二、
松陰の詞に節を磨し
豪徳の鐘気を澄ます
朝な夕なにつく呼吸は
富嶽颪しの天の風
三、
区々現身の粗薪に
大覚の火を打ち点し
三世十方焼き尽くす
至心の焔あふらばや
至心の焔あふらばや
[編集] 沿革
- 大正6年11月 -創立者柴田徳次郎、東京市麻布区(大民社本部)に国士舘義塾を創立
- 大正12年4月 -松陰神社隣接地、世田谷区校地に校舎落成、国士舘中学校設立
- 大正13年4月 -国士舘商業学校設立
- 昭和4年4月 -国士舘専門学校創立(4年制国語漢文武道科)
- 昭和5年4月 -国士舘高等拓殖学校創立
- 昭和8年4月 -満州に鏡泊学園創立
- 昭和20年8月 -終戦により、至徳学園と改称
- 昭和23年4月 -学制改革に伴い、中学校は新制中学および高等学校(普通科)に商業学校は高等学校(商業科)になる
- 昭和28年4月 -国士舘に改称 国士舘短期大学創立
- 昭和33年4月 -国士舘大学創立
- 昭和39年4月 -高等学校工業科に(土木・建築科)を増設
- 昭和48年1月 -26日、創立者柴田徳次郎逝去(享年83歳)
- 昭和58年5月 -柴田会館落成
- 平成5年4月 -高等学校(定時制商業科)の募集停止、(普通科)を新設
- 平成6年4月 -新校舎完成移転、中学校・高等学校全日制(普通科)男女共学となる 授業5日制を試行
- 平成10年3月 -体育武道館落成
- 平成12年4月 -高等学校に(通信制課程普通科)を増設
[編集] 歴代校長
- 柴田徳次郎 (大正6年11月~昭和48年1月)
- 柴田梵天 (昭和48年2月~昭和59年4月)
- 増田信 (昭和59年6月~平成元年3月)
- 四方一※ (平成元年4月~平成3年3月)※さんずいに弥
- 吉田治郎 (平成3年4月~平成9年3月)
- 牧勇次郎 (平成9年4月~平成12年3月)
- 中元令士 (平成12年4月~平成16年3月)
- 川野一成 (平成16年4月~)
[編集] 交通
[編集] 卒業生
[編集] 研究者
[編集] 市町村議会議員
- 嶋村勝夫(神奈川県横浜市議会議員、元全国市議会議長会会長<現:相談役>)
- 坂本茂(神奈川県川崎市議会議員)
- 志村勝(神奈川県川崎市議会議員)
- 佐原勇(元東京都新宿区議会議員)
[編集] 経済、財界
- 松井健治(東海観光サービス会長、新制日本大学応援団初代団長)旧制中学
- 小林功三(南部化成(JAS)取締役)
[編集] 柔道
- 斉藤仁(ロサンゼルス五輪柔道男子95kg超級、ソウル五輪柔道男子95kg超級、金メダリスト)
- 日陰暢年(第14回世界柔道選手権大会78キロ級、優勝)
- 丸山顕志(バルセロナ五輪柔道)
- 内柴正人(アテネ五輪柔道男子66kg超級、金メダリスト)
- 鈴木桂治(アテネ五輪柔道男子100kg超級、金メダリスト)
- 高井洋平(世界柔道2005男子無差別級、銅メダリスト)
- 石井慧(全日本柔道選手権、史上最年少制覇)
[編集] シンクロ
- 川嶋奈緒子(シンクロナイズドスイミング、アテネ五輪女子団体)
[編集] 格闘技
[編集] ヨット
- 谷路泰博(プロセーラー)
[編集] スキー
- 竹村幸則(元全日本スキーデモンストレーター )
[編集] プロ野球
- 長持健一(元東映フライヤーズ投手)
- 鈴木弘(元ロッテオリオンズ内野手)
- 浜名千広(元福岡ソフトバンクホークス内野手、現:プロ野球解説者)
- 五十嵐貴章(元ヤクルトスワローズ投手)
- 筒井正也(元中日ドラゴンズ投手)
- 小島紳二郎(広島東洋カープ投手)
- 森健次郎(セントラル・リーグ審判員)
[編集] 社会人野球
- 高柳信英(ヤマハ硬式野球部監督)
[編集] 芸能界
[編集] その他未分類
- 内田尚孝(警視庁第二機動隊長、<警視→警視長>あさま山荘事件)旧制中学
- 辻清明(陶芸家、2006年度東京都名誉都民)旧制中学
- 木村三浩(国際組織NASYO(非同盟諸国学生青年会議)常任理事)
- 小倉信之(茨城ゴールデンゴールズ外野手)