回天丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
回天丸(かいてんまる)は、幕末期の江戸幕府が所有していた軍艦の一つ。木造蒸気船。マスト3本のスクーナー。排水量1,678t。
元は、安政2年(1855年)建造のドイツ(プロシア)の軍艦。廃艦後、イギリス商人によって修理され、アメリカ商人に転売され、慶応2年(1866年)江戸幕府が購入。(186,000ドル) 慶応4年(1868年)4月11日江戸城無血開城と共に新政府軍に譲渡される予定であったが、海軍副総裁榎本武揚がこれを拒否、同年8月19日に品川沖を発して仙台を経て蝦夷地へ渡った。箱館戦争では旧幕府軍艦となり、甲鉄艦奪取作戦(宮古湾海戦)をたった一艦で敢行した事で有名。品川沖脱走時は荒井郁之助が回天丸艦長を勤めていたが、荒井は箱館政権(蝦夷共和国)下で海軍奉行となったため、後任には軍艦頭甲賀源吾が就いた。しかし宮古湾海戦で甲賀源吾が戦死し、総司令官として乗船していた荒井が再び自ら舵を握って新政府軍艦隊を振り切った。明治2年(1869年)3月26日に回天丸は蟠竜丸と共に箱館に帰還。その翌日には新たな艦長を定め、箱館湾海戦に臨んだ。箱館湾海戦では新政府軍の砲撃により機関を損傷、船としての機能を果たせなくなったため砲台として利用され、たった一艦のみで奮戦する蟠竜丸を弁天台場と共に援護していたが、同年5月11日の箱館総攻撃により大破、乗組員は回天丸を脱出して弁天台場に立て籠もった。弁天台場は5月15日に降伏した。
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 幕末の艦船