回向院
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回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国にある浄土宗の寺。および、その別院である東京都荒川区南千住にある寺のこと。
[編集] 両国回向院
東京都墨田区両国にある寺。正称は諸宗山(一時期、国豊山と称す)無縁寺回向院。本所(ほんじょ)回向院とも。 東京都墨田区両国2丁目。
振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬する。あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、ペットの墓も多数ある。
1781年(天明元年)以降には、境内で勧進相撲が興行された。これが今日の大相撲の起源となり、旧両国国技館が建てられるに至った。
江戸三十三箇所観音霊場の第4番札所である。
[編集] 南千住回向院
東京都荒川区南千住にある寺で、両国回向院の別院。正称は寿国山(じゅこくざん)回向院。小塚原回向院とも。 荒川区南千住5丁目。
1651年(慶安4年)に新設された小塚原(こづかはら、こづかっぱら)刑場での刑死者を供養するため、1667年(寛文7年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことに始まる。
この寺には、安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら、また「毒婦」と云われた高橋お伝などの歴史上の有名人物が葬られている。
1771年(明和8年)に蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが刑死者の解剖(腑分け/ふわけ)に立ち合ったことを記念した観臓記念碑(建立は1922年)がある。
戦後の代表的な誘拐事件の通称「吉展ちゃん事件」の犠牲者村越吉展ちゃん(当時4歳)の供養のために建立された「吉展地蔵尊(よしのぶじぞうそん)」がこの寺の入り口にある。
この寺は常磐線沿線にあり、鉄道敷設の際に分断されて独立した延命寺には、2m余の地蔵尊(俗称は首切り地蔵)がある。
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